2008年 09月 03日
![]() 内部の見学にはインターネットを通しての事前申し込みが必要ですが,私の関心は内部にはなく,乾清宮の横にたてられていた石碑と絵画でした。そこは第26代国王,高宗の妃,閔妃(日本ではビンキと言うことが多いようですが,韓国では明成皇后の呼称が一般的です)が日本人によって殺害,焼却された場所でした。1895年10月8日のことです。 石碑には,ここが殺害・焼却現場であることと李承晩元大統領による韓国青年への檄が刻まれていました。そして,殺害状況を描いた2枚の絵画がありました。 復元された乾清宮を一回りしてみましたが,死体を焼却したという乾清宮横の小さな林の丘にも登ってみましたが,「日本人による王妃殺害」を示すものは何もありませんでした。 たまたま通りかかった国立民族博物館(景福宮に隣接している)のボランティア・日本語ガイドという老人に石碑と絵画の行方を尋ねてみましたが,知らないとのことでした。かつて,景福宮に入ると方向案内表示の一つに「明成皇后殺害現場」(殺害は弑虐の表記だったように思います)がありました。それもありませんでした。 景福宮は日本の植民地時代に主要な建物を除いてほとんど撤去されました。近年,復元工事が盛んに行われています。正門の光化門も本来の位置に戻すために解体工事の最中でした。 閔妃(明成皇后)殺害事件は日本にとっても韓国にとっても近代史の重要な転機です。その「現場」が消えてしまったことに複雑な思いをもちました。 ![]()
by gakis-room
| 2008-09-03 06:24
| 韓国あれこれ
|
Comments(12)
なぜでしょうか?
0
saheiziさん,
なぜでしょうか。私にもわかりません。 ![]()
お久しぶりです。
角田房子さんは「閔妃暗殺」という本を書いていて、ミンビとふってあります。いつか景福宮に行きたいと思っております。それにしても表示がなぜ消えてしまったのか、とても気になります。
イネさん,
「閔妃暗殺」は私も読みました。ミンピは閔妃の韓国語読みですね。 景福宮の1番奥まで来る日本人観光客はきわめて少なく,また,ツアーの場合もこの地までは案内しません。観光客に不愉快な思いをさせないということでしょうか。それにしても,なぜ消えてしまったのでしょうか。 ![]()
2007-11-15.10:04のコメントと全く同じコメントです。
記念セレモニーのことがあるので、seoulの例の方に電話したついでに、撤去された理由を聞いてみましたが、「分かりません、韓国もそれだけ生長したのでしょう」という、答えを頂きました。
YUKIさん,
そうですね,案内表示もありませんから,忘れられた場所になっているのかも知れません。
高麗山さん,
>分かりません、韓国もそれだけ生長したのでしょう」 ソウルの例の方のお言葉ですか。30日に日本大使館を見に行ってきましたが,「閑散(?)」としていました。韓国の成長だけでなく日韓関係が成熟したのかも知れません。 ![]()
嘘歴史のプロパガンダばっか流してんじゃねぇよ
キムチさん,
? ![]()
閔妃暗殺犯には諸説ありますが、主導したのは日本公使の三浦梧楼であり、実際に閔妃を殺したのは朝鮮人武官の禹範善とする説が有力です。しかし韓国では諸説を検討する余地もなく、計画も実行もすべて日本の仕業とされています。
私が1998年に景福宮を訪れたときにも、案内の道しるべと日本人に切り殺される閔妃の絵がありましたが、あのような一方的な歴史観に基づいた絵や碑は撤去されるのが妥当でしょう。
よし蔵さん,
禹範善は訓練隊第二大隊長として,暗殺に荷担していますが,閔妃を殺害した直接の下手人を特定できるかどうかは疑問です。 |
アバウト
カレンダー
カテゴリ
タグ
5月の花の手帳(241)
4月の花の手帳(215) 3月の花の手帳(190) 6月の花の手帳(182) 10月の花の手帳(174) 9月の花の手帳(129) 11月の花の手帳(126) 7月の花の手帳(113) 2月の花の手帳(73) 8月の花の手帳(65) 12月の花の手帳(57) 1月の花の手帳(51) 以前の記事
最新のコメント
検索
記事ランキング
|
ファン申請 |
||