2008年 03月 18日
![]() 私もまた,これまでに何回かの脱皮をしてきたように思います。しかし,脱ぎ捨ててきた私のカラは自然の中で朽ち果ててしまうのではなく,私の記憶の中にしっかりと残っています。 そして,その時々の脱皮が果たして自然であったのかという疑問がついて回ります。さらには,自分では脱皮と思っているものの,脱ぎ捨てたものを拾いなおして,ほんの少しだけ繕って,再び着込んできたのではないかとも思ってしまいます。 つまりは,何も変わってはいないのかもしれません。「脱皮できないヘビは自滅する」とはニーチェの言葉だったでしょうか。 ■
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by gakis-room
| 2008-03-18 08:16
| つれづれに
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Comments(10)
これから春を迎えるってときに、去年の夏のことを思い出すって…
と考えてしまいました。 物でも思い出でも、脱ぎ捨てて新たに進めばいいのだけど、つい、持ち続けるものです。 で、どこにしまいこんだかわからなくなります。 整理したら、よけいわからなくなります(笑)
う~ん、いえてるなあ。
私はアルマジロみたいにいろんな皮が重なってどれひとつちゃんと大きくなっていないような気がする。 あれ、アルマジロは重なってはいないか。松かさ、または蓑虫だ。
蛇が脱皮をするのは、次に脱いだら足があるかもしれないと思うから、という話が好きです。
蝉は、古い殻の下に何を期待するんだろう? もちろん、蛇に足は生えません。 何度脱皮しても。 でも、そう思わないと、脱皮できない蛇もいるんだと。 脱皮には、すごいエネルギーがいるそうですから。
マロンさん,
郷愁とか追憶とか言えばカッコいいんですがねえ。私の場合は優柔不断,潔くないみたいですから,嫌になります。
saheiziさん,
なんだかんだ言っても,私の場合は脱皮が新たな自己防衛の装いみたいな気もします。鎧をちょっと替えた程度の。
風待ちさん,
セミのことはともかくも,「強いられた脱皮」もありました。脱皮と言うよりも,割の合わない悪戦苦闘に白旗を揚げないための知恵だったかもしれません。 ![]()
この時節になると自然と「脳幹」あたりが刺激されだして、皆様方“ニーチェやサルトル”あたりの引用が多くなります。
平易に、平易に!!! お願いいたします。。。
高麗山さん,
余所様の場合と違って,私の場合は終了寸前の練り歯磨きの最後の一絞りです。ニーチェもサルトルも遠い記憶の彼方に行ってしまいました。
終了寸前の練り歯磨き、
私はハサミで切って中をこすりとってつかいます。 一週間くらいは延命できるかも。
saheiziさん,
そういうやり方もありましたか。知りませんでした。私もやってみることにします。 |
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