2006年 07月 31日
詩仙堂は静かでした。季節はずれのこの時期は,訪れる人もほとんどなく,建物の名前の由来となった「詩仙の間」からの風景はセミの鳴き声もありませんでした。 庭では,詩仙堂を営んだ石川丈山が考案し,自らも晩年はその音を慰めにしたという「ししおどし」がやけに乾いた音を響かせていました。 石川丈山は不思議な人です。若くして家康に仕えた「三河武士」でありながら,文にも秀でた人でした。日本朱子学の祖とされる藤原惺窩の高弟として,儒学者としても高名であり,また,隷書については屈指の書家でもありました。 煎茶も彼に始まるとか。それでいてなお武を怠らなかったというのですから,この場所にいるとすっかり打ちのめされた気分になってしまいます。 詩仙堂の隣に八大神社があります。若き日の宮本武蔵が吉岡一門70余名との「一乗寺下り松の決闘」に臨んで,その勝利を祈願しようとした神社です。 そのとき,武蔵は祈願を中断し,「我れ,神仏を尊んで,神仏を恃(たの)まず」との悟りを得たとされています。 武蔵もまた,文武両道の人でした。「下り松」は現在は4代目だそうですか,住宅街の辻角にあります。丈山といい,武蔵といい,つくづくと「いやになってしまう」人です。
by gakis-room
| 2006-07-31 23:45
| つれづれに
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Comments(2)
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saheizi-inokori at 2006-08-01 10:26
武を極めようとすれば自ずから書とか文の道にも通じなければならないのではないでしょうか?
優れた横綱が小学校しか出ていなくてもその話す言葉に力と風格を感じさせるのはそういうことかなあと思ったことがあります。 もとより例外も、の方が?多いですが。
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gakis-room at 2006-08-02 14:37
文と武の相関関係については私にはよく分かりませんが,天は二物どころか,三物も四物も与えることがあるようです。ただ,そのような人の努力がハンパでないことは確かです。
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