2006年 03月 17日
2泊3日の済州島の後,ソウル周りで帰ってきました。ソウルでは,慶熙宮(キョンヒグン)と隣接するソウル歴史博物館が目当てでした。 慶熙宮 慶熙宮はソウル市内の五つ王宮の1つで,大小100余の建物があったそうです。事実上,日本の支配下にあった1908年から取り壊しが始まり,日本の植民地となった1910年,ここに日本人学校である京城中学校がつくられたことで完全に破壊されました。 なお,王宮の正門である興化門は破壊されず,伊藤博文を祭った博文寺の正門として移転使用されました。 戦後,この地はソウル高校の敷地となり,その後,財閥の現代グループの所有を経て,永く「慶熙宮公園」とされましたが,宮殿の面影は発掘された基壇だけでした。 ソウル市は1988年に興化門を現在の位置に戻すとともに復元をすすめ,崇政殿など正殿付近を復元して,2002年から公開されるようになりましたが,ガイドブック(たとえば「地球の歩き方」)にも説明がないものもあり,あまり知られていないようです。 【ソウル歴史博物館】 慶熙宮に隣接し,2002年に開館されました。建物の外観は博物館らしくもありませんが,展示には相当な工夫がされ,参加・体験を通してソウルの歴史などをよく知ることができます。 【南大門の下をくぐってみました】 南大門,正式名称,崇礼門(スンニェムン)は昨年5月に門の周辺に広場が造成され,間近で見られるようになっていましたが,門への立ち入りはできませんでした。 今年の3月3日,一般に開放されました。崇礼門の開放は,日帝強占期の最中だった1907〜1908年にこの門の左右の城壁を撤去し,電車路と道路ができてから99年ぶりのことです。 いかめしく守兵がいますが,門は自由にくぐることができます。(3月18日)
by gakis-room
| 2006-03-17 23:30
| 韓国あれこれ
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