2012年 09月 24日
![]() その頃の日本では、日本は貞観4年(862年)に唐よりもたらされた宣明暦(せんみょうれき)を使っていましたが,この暦は現実とかなりのづれを生じていました。保科が棋士の算哲にこよみの作成を命じたのは,彼が和算(日本独自に発達した数学),天文学にも優れた才能を持っていたからでした。 私の興味は以下の3点にありましたが,結論から言えばこの3以外はそれなりに納得できました。 1 天体観測はどのように行われたか 2 和算ではどのように計算するのか 3 暦の作成は天子の専権であるが,どのように承認 されたか 1 天体観測はどのように行われたか 渾天儀(こんてんぎ)と呼ばれる観測機器を使って月・太陽や星々の位置を観測します。渾天儀については韓国の歴史ドラマ「大王 世宗」で知っていましたが,その使用方法は描かれていませんでした。今回初めて天体観測の方法がなんとなくわかりました。 2 和算ではどのように計算するのか 恐るべし,和算です。そろばんあるいは算木(さんぎ)をつかって幾何,代数の問題を解きます。映画にも登場する関和孝は円周率を小数点以下16位まで正しく計算しています。算木を使って計算する場面はほんのわずかでしたが,なるほどなるほどと関心しました。 3 暦の作成は天子の専権であるが,どのように承認されたか 古来,時間・暦は支配者の専権でした。韓国の歴史ドラマ「大王 世宗」でも朝鮮にあった暦をつくる場面が出てきます。その折りに,明との事大関係から,それは明への謀反ではないかと反対する家臣が登場しています。 当然のこととして朝廷で暦を司る陰陽寮の博士たちは反対します。幕府の命によって作成された暦の採用は「時を支配」する天皇の権威の否定にも繋がります。しかし,天皇の権威の否定については私にはちょっと物足りなく思われました。とは言え,安井算哲の作成した大和暦は天体事象の事実によって採用されることになります。1861年のことでした。もっともこの場面は史実かなと疑いをもちました。 他にも史実と違う場面(例えば算哲の恩師であり,江戸時代の初期の神道学者山闇斎の死,初手を碁盤の中央に打った本因坊道策との天元の局の棋譜など)もありますが,私には面白い映画でした。 なお,この後,算哲は幕府天文方に任じられ,編暦は朝廷から幕府に移行します。また,算哲はのちに渋川春海(しぶかわはるみ)と改姓改名しますが,日本史ではこちらの名前が一般的です。 予告編はこちらです。 ※写真はクリックすると拡大します。 ■
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by gakis-room
| 2012-09-24 18:00
| つれづれに
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Comments(4)
小説も面白かったです。
映画は見る余裕がないかな、残念ながら。
saheiziさん,
冲方丁という原作者,なかなか面白そうですね。 ![]()
きっと満員だろうなあ、と昨日はパスしました。
原作は図書館で借りました。 すごく待ちました。和算に興味津々です(^^ゞ
korimaさん,
私も平日の午後に行きました。 それほどの人でもなく,思い通りの席で見ることができました。 算木による計算の仕方はこのサイトがいいかもしれません。 http://mathsoc.jp/publication/tushin/1101/nishimori.pdf |
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