2006年 02月 17日
「北朝鮮の美女応援団21名,政治収容所に収監」?
17日の朝鮮日報は,最近中国に脱出した脱北者の話として,韓国で行われた国際スポーツ大会の際,韓国に派遣された北朝鮮のいわゆる「美女応援団」の一部が,収容所に収監されていたことが明らかになった,報じています。

以下は同紙による脱北者の話です。
「昨年11月頃,テフン収容所に21人の若い女性が収容された」とし,「後で,それらの女性が全員南朝鮮を応援団として訪問した女性だと知った」

「当時,現地で聞いた話によると,その女性たちは南朝鮮で目にしたすべてを一切漏らさないという誓約を破ったようだ」と述べた。この脱北者は,「好奇心の多い若い女性が,南朝鮮で目にしたものを他人に漏らさないでいるのは難しかっただろう」と述べた。

また,別のの脱北者の話として,以下のように報じています。
「美女応援団は,出身成分のよい大学生や宣伝隊,音楽大学の学生からなる」とし,「この女性たちは,南朝鮮に向けて出発する前,国家安全保衛部に誓約をしなければならない」とし,その内容は,「敵地(南朝鮮を敵の地域と呼ぶ)に行けば,将軍さまの戦士らしく戦う」「帰国して南朝鮮で目にしたすべてを一切漏らさない」「これに違反すれば,どんな処罰も甘受する」 などだという。

北朝鮮は2002年9月の釜山アジア大会,2003年8月の大邱ユニバーシアード大会,2005年9月の仁川アジア陸上選手権大会に美女応援団を派遣してきました。

朝鮮日報の記事の真偽については「脱北者」の話という以上のものではありませんが,もし事実なら,昨年の9月5日に書いたようにこの「『美女応援団』は北朝鮮という国家が政治目的をもって選抜・組織し,国家の指令で行動する『宣伝隊』」としての任務を最後のところでぬかったということでしょうか。
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# by gakis-room | 2006-02-17 15:42 | 韓国あれこれ | Trackback | Comments(0)
2006年 02月 16日
カーリングっておもしろそう
トリノ冬季オリンピックでは,日本勢の不振が続いています。不振と言うよりも,メダル獲得がゼロであることへのいらだちがテレビから伝わってきます。私は,国別メダル獲得数にはほとんど関心がありませんから,これまでのように個別の競技を私なりに楽しむことにしています。

昨夜ときょう,2日続きでカーリング競技を見ました。私はカーリングについてこれまで何も知りませんでした。むしろ,これまでの私の身近なところでの話題としては,カーリングは半ばからかいの対象であったように思います。

昨日,偶然にカーリングを見て,面白いと思いました。札幌カーリング協会のホームページ(日本カーリング協会のそれよりも充実しています)でストーンの動きについて詳しく紹介されていますが,もとよりすぐには熟達できません。

きょうのデンマーク戦が楽しみでした。「氷上のチェス」と言われるそうですが,駆け引きはなかなかのものです。その上,私ならどうしようかと,ゲームに参加とまでは行きませんが,かなり関わることができたような気分になります。

多くの競技がスピードと距離と美しさが競われるの中で,カーリングだけが異色のように思われます。トリノ五輪はカーリングを追いかけることになりそうです。
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# by gakis-room | 2006-02-16 11:31 | カーリング | Trackback | Comments(0)
2006年 02月 15日
童謡の謎・雨降りお月さん
「戦後に改作された童謡」の延長で,「本当は戦争の歌だった 童謡の謎」(合田道人著)を読んでみました。その中で「惜別の歌」の項が印象的でした。1番は以下のとおりです。

遠き別れに たえかねて
この高殿に 登るかな
悲しむなかれ 我が友よ
旅の衣を ととのえよ

送別会などで,時々歌われる歌です。私の好きな歌の一つですが,この歌の「別れ」がどのような別れなのか考えたことがありませんでした。この歌は,学徒動員で戦地へ赴く仲間への惜別の情として作曲されたものだそうです。

詩が島崎藤村のものであることは知っていました。しかし,彼の詩集「若菜集」とは3行目が違っています。3行目は「若菜集」では次ぎのようになっているそうです。

かなしむなかれ わがあねよ

島崎藤村の詩は8連からなっていて,それは嫁ぐ姉とそれを送る妹の心情を交互に綴ったものだそうです。「惜別の歌」の3番が「君がさやけき 瞳(め)のいろも 君紅の 唇も 君が緑の 黒髪も…」の意味がそれでわかりました。

ところで,「嫁ぐ」といえば,私には不思議にとしかいいようのない童謡があります。それは「雨降りお月さん」です。

雨降りお月さん 雲の影
お嫁に行くときゃ 誰と行く
ひとりでからかさ さして行く
からかさないときゃ 誰と行く
しゃらしゃらしゃんしゃん 鈴付けた
お馬に揺られて 濡れていく

なぜ,1人で唐傘さしていくのでしょうか。それが叶わなければ,濡れていくのはなぜでしょうか。私にはとても哀しい歌のように思われます。これを歌う子どもたちは,どのような風景を描くのでしょうか,昔からの疑問です。
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# by gakis-room | 2006-02-15 23:38 | つれづれに | Trackback | Comments(0)
2006年 02月 14日
常備品としてのチョコレート
チョコレートをいつの頃から好むようになりました。夏の暑い日に帰宅すると,まずよく冷えたチョコレートをカリッと噛んでビールを一口,それから夕食の準備,そんな毎日でした。ですから,今でも冷蔵庫の中にはいつもチョコレートがあります。

学生時代には,「明治マーブルチョコレート」が好きだったように思います。30代の頃は,ピーナッツの入った「不二家ハートチョコレート」になりました。それから,次第にビターを好むようになり,一番のお気に入りはロッテの「V.I.Pビター」でした。

売れ行きとの関係でしょうか,私のお気に入りはしばらくすると店頭から消えてしまいます。「V.I.Pビター」→「カカオ70」→「チョコレート効果」→「Venezuelr Bitter」→「noir」と変わりました。

日本チョコレート・ココア協会の統計では,この10年でみると,2000年の年間消費額4,667億円をピークに年々微減していますが,04年は4,406億円です。うち,バレンタインシーズンの推定販売額は年間消費量の11.5%前後で,ざっと520億円前後です。

「バレンタインデーとチョコレート」の起源には諸説があのようですが,その一つに,1958年2月に「メリーチョコレート会社」が,新宿・伊勢丹の売り場に「バレンタインセール」と手書きの看板を出しのが始まりというのがあります。 ちなみに,この時の3日間の売上は170円だったそうです。

2005年の国内売り上げの最高は,阪急うめだ本店の6億4千万だそうです。今年は義理チョコとも無縁となりましたが,寝酒のウィスキーのあてに冷蔵庫からチョコレートを取り出すことにしました。
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# by gakis-room | 2006-02-14 23:30 | つれづれに | Trackback | Comments(0)
2006年 02月 13日
もうすぐ春です
d0006690_19242616.jpgきょうはとても暖かな1日でした。雲一つない青空が終日続き,気温も12度近くまであがり,そのうえ風もありませんでした。3月中旬の気候だそうです。

自転車でも手袋は必要ありませんでした。明日は夕方以降は雨模様だそうですが,気温は15度を超えるという予想です。週末は冷えるとのことですから,まさしく三寒四温です。

公園の梅のつぼみも一段と緩み,来週には開花しそうです。いよいよ春の到来です。そして,私のバイオリズムはこれから少しずつ下降線をたどることになります。

昨年までは勤務に後押しされて,なんとかバイオリズムの下降線をクリアしてきましたが,今年はリタイア後の最初の下降線です。私を後押しする何かを見つけなくてはという思いと,下降線にはそれなりの楽しみがあるかもしれないという期待とが交差します。
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# by gakis-room | 2006-02-13 19:27 | 花の手帳 | Trackback | Comments(0)
2006年 02月 12日
無理に無理を重ねた祝日
昨日は「建国記念の日」でした。「記念日」ではなく「記念の日」であるのは,1966年6月の制定時に,「戦前の紀元節の復活」との批判をかわすためために,建国の「史実」ではなく「事実」を祝うとしたためでした。

それでも,月日を法律では特定できず,「日程は政令で別途定める」とされました。政府は学識経験者等からなる「建国記念日審議会」をもうけ,12月8日に「2月11日が相応」との答申をうけ,翌9日に政令を公布,同日施行となりました。

こうして「建国記念の日」は制定されましたが,制定促進派の願った「紀元節」とはならず,「国民の祝日に関する法律」の中で,「政令で定める日」として唯一月日が特定されていない祝日となりました。

戦前の「紀元節」は神武天皇の即位を祝うものでした。日本書紀によれば,神武天皇の即位は「辛酉年春正月庚辰朔」とあり,旧暦1月1日となります。そこで政府は1872年(明治5年),太政官布告342号で旧暦1月1日を神武天皇即位の日,紀元としました。

しかし,明治政府は翌年から新暦(太陽暦)への改暦を予定していたため,旧暦1月1日に当たる新暦1873年1月29日を神武天皇即位の日と定め,例年祭典を行うこととしました。そして新暦1月29日に祭典を行った後,これを「紀元節」と名付けました。

ところが,新暦になじめない国民の間では,政府が旧正月に当たる日を紀元節として祝ったため,慣れ親しんだ旧正月こそが正しい正月だという解釈が広く行われるようになってしまいます。つまり,旧正月に「紀元節」が吸収されてしまいました。

この国民の反応を見て,これでは新設の「紀元節」が吹っ飛び,しかも国民が新暦を使わなくなるとの危機感を持った政府は,神武天皇即位の日を無理矢理に新暦に換算します。文部省天文局が新暦2月11日という日付を算出し,この日を紀元節として固定しました。

「紀元節」も「建国記念の日」も無理に無理を重ねた祝日というわけです。
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# by gakis-room | 2006-02-12 23:01 | つれづれに | Trackback | Comments(0)
2006年 02月 11日
唐辛子入りチョコレート
トリノの冬季オリンピック関連番組を見ていたら,「唐辛子入りチョコレート」がオリンピックグッズとして紹介されていました。粉砂糖をまぶした3センチくらいの球形のチョコレートで中に唐辛子が入っているというものです。

レポーターの説明によると,チョコレートの美味しさを楽しんでいると最後になって突然,ビリっと唐辛子の辛さがやってくると言うことでした。形は違いますが,唐辛子入りチョコレートは2年前に食べたことがあります。

韓国の仁川空港の土産物店で「新製品です」と勧められました。サンプルをつまんでみたら,チョコレートとしての味はまあまあでした。韓国のおみやげとしては,洒落になりそうでしたから,それからは韓国土産として何人かに配ったりしました。

唐辛子入りチョコレートをおもしろがってくれた人とそうでない人とに分かれましたが,テレビを見ていて,私はイタリア料理については何も知りませんが,ニンニクと唐辛子が韓国料理との共通項かな,なんて勝手に考えてみたりしました。

私はピザやある種のスパゲティにはたくさんタバスコをかけますが,多分,イタリア料理も大半は韓国料理と同じようにニンニクや唐辛子を使わないんじゃないかなと思っています。
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# by gakis-room | 2006-02-11 19:21 | つれづれに | Trackback | Comments(2)
2006年 02月 10日
空がきれいでした
d0006690_15451512.jpgきょうは久しぶりの好天でした。風は結構あり,自転車での向かい風はすこし大変でしたが,それでも気分の良い時間を過ごすことができました。

空の雲も久しぶりにきれいに見えました。しばらくは好天が続きそうです。「雨水」が19日ですから,春はすぐそこまで来ているような感じです。

1日1回,買い物に出る以外は4日も部屋に閉じこもっていましたから,きょうはなんとなく嬉しい1日で終わりそうです。
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# by gakis-room | 2006-02-10 15:57 | つれづれに | Trackback | Comments(0)
2006年 02月 09日
皇室典範の改正される方向
秋篠宮妃の妊娠によって,男系,女系をめぐる皇室典範改正問題は一時棚上げ状態になりつつあります。私にとって,皇室典範改正問題への関心は,憲法との整合性だけであって,天皇が男系であろうと女系であろうと,そのことへの関心はありません。

ましてや「女系天皇は日本の文化的伝統にそぐわない…」という発言は,私には無知によるものでなければ,政治的プロパガンダのように思われます。現在の天皇家が第26代継体天皇にまで遡ることができることについては史学者とともに私には異論はありません。

しかし,日本の民衆の精神が天皇の存在と不可分になったのは,天皇の神格性とその権威の確立につとめた明治以降の百年余のことでしかありません。明治以前の民衆にとって,その生活の中では天皇は存在すらしていなかったと考えていいようです。

天皇の存在を意識した源頼朝以降の武家政権にとっても,次第にその権威は薄れ,徳川政権に至っては,「禁中並びに公家諸法度」にみられるように天皇家は支配の対象でした。

憲法と皇室典範の整合性とは,憲法の13条「すべて国民は個人として尊重される」と14条「法の下の平等」の原則および民法の相続の原則にしたがって皇室典範を改正することです。この意味で,その眼目は違いますが,有識者会議の結論に私は異論はありません。

また,その名称も国会の議決した法として「皇室法」と改めることです。明治憲法の発布にあたっての「告文」(神に申し上げる言葉を記した文書)では,「皇室典範及ビ憲法ヲ制定ス」とされています。私には,皇室典範とは,憲法下の議会の立法作用の及ばない天皇家の家内法としての名称のように思われます。
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# by gakis-room | 2006-02-09 08:11 | つれづれに | Trackback | Comments(0)
2006年 02月 08日
「汽車ぽっぽ」,戦後に改作された童謡・2
部分的な改作ではなく,全面的に改作されたのは「汽車ぽっぽ」です。オリジナルは1939年4月の「兵隊さんの汽車」で,左側が戦後の1945年12月に改作されたもので,右側がオリジナルです。

「汽車ぽっぽ」          「兵隊さんの汽車」
一、                一、
汽車汽車 ぽっぽぽっぽ       汽車汽車しゅっぽしゅっぽ
しゅっぽしゅっぽしゅぽっぽ    しゅっぽしゅっぽしゅぽっぽ
僕らを乗せて           兵隊さんを乗せて
しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ   しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ
スピードスピード窓の外      僕らも手に手に日の丸の
畑も飛ぶ飛ぶ家も飛ぶ       旗を振り振り送りましょう
走れ走れ走れ           万歳万歳万歳
鉄橋だ鉄橋だ楽しいな       兵隊さん兵隊さん万々歳

二、               二、
汽車汽車ぽっぽぽっぽ       汽車汽車来る来る
しゅっぽしゅっぽしゅぽっぽ    しゅっぽしゅっぽしゅぽっぽ
汽笛を鳴らし           兵隊さんを乗せて
しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ   しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ
愉快だ愉快だいい眺め       窓からひらひら日の丸の
野原だ林だほら山だ        旗を振ってく兵隊さん
走れ走れ走れ           万歳万歳万歳
トンネルだトンネルだ嬉しいな   兵隊さん兵隊さん万々歳

三、               三、
汽車汽車ぽっぽぽっぽ       汽車汽車行く行く
しゅっぽしゅっぽしゅぽっぽ    しゅっぽしゅっぽしゅぽっぽ
煙を吐いて            兵隊さんを乗せて
しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ   しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ
行こうよ行こうよどこまでも    まだまだひらひら日の丸の
明るい希望が待っている      旗が見えるよ汽車の窓
走れ走れ走れ           万歳万歳万歳
頑張って頑張って走ろうよ     兵隊さん兵隊さん万々歳

位相が車外から車内へと180度転換されていることに驚かされます。また,3番の「明るい希望が待っている」はむりやりな付け足しになっていますが,敗戦直後のひとつの典型でしょうか。以下は改作にまつわるエピソードです。

NHKは1945年の大晦日の番組として「紅白音楽試合」を計画しました。当初は「紅白歌合戦」の名で放送する予定でしたが,GHQへの配慮のため「合戦」から「音楽試合」へと変更されます。

この番組に当時の人気童謡歌手の川田正子(当時11歳)が紅組で出場することになり,「兵隊さんの汽車」を歌うことになりました。しかし,直前にGHQからその歌詞にクレームがつき,12月27日に急遽,改作することになりました。

NHKの職員が,御殿場市に住む作詞者の富原 薫のところまで改作依頼に出かけるという慌しさの中で製作されたということです。

なお,「紅白音楽試合」は1951年に「紅白歌合戦」として再登場しますが,第3回までは正月番組でした。現在のように大晦日に放送されるようになったのは第4回からだそうです。
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# by gakis-room | 2006-02-08 06:45 | つれづれに | Trackback(1) | Comments(2)
2006年 02月 07日
戦後に改作された童謡,「里の秋」
2月3日の「童謡雑感(続き)」に関して,他に「里の秋」や「汽車ポッポ」など,戦後改作された童謡があることをメール教えていただきました。「戦時童謡」そんな言葉があるかどうか知りませんが,興味をもち,知りたく思いました。

「里の秋」のオリジナルは「星月夜」という歌で,1941年12月の作品です。戦後,NHKラジオの「外地引き揚げ同胞激励の午後」という番組で,オリジナルの3・4番がカットされ,新しく3番が付け加えられて,復員兵を迎える歌として,題名も『里の秋』として世に出ます。

その後もNHKの「復員だより」という番組に流し続けられて大反響を呼ぶようになったそうです。オリジナルは以下の通りです。(三)は3番の改作で,現在はほとんど歌われないようです。

一,
静かな静かな里の秋
お背戸(せど)に木の実が落ちる夜は
ああ母さんとただ二人
栗の実煮てます囲炉裏端

二,
明るい明るい星の夜
泣き泣き夜鴨の渡る夜は
ああ父さんのあの笑顔
栗の実 食べては思い出す

三,             (三),
きれいなきれいな椰子の島   さよならさよなら椰子の島    
しっかり護って下さいと    お船に揺られて帰られる
ああ父さんのご武運を     ああ父さんよご無事でと
今夜も一人で祈ります     今夜も母さんと祈ります

四,
大きく大きくなったなら 
兵隊さんだようれしいな
ねえ母さんよ僕だって
必ずお国を護ります

「里の秋」はメロディの美しさもあって好きな童謡ですが,私は単に父親を亡くした母子家庭とだけ思っていました。そして,それも母と娘の親子の情景を想像していました。
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# by gakis-room | 2006-02-07 12:39 | つれづれに | Trackback | Comments(1)
2006年 02月 06日
チャン・ドンゴンらの1人デモ
韓国政府のスクリーンクォーター制縮小方針に抗議する映画俳優の1人デモが4日から続けられています。この1人デモはソウルの中心街で,自ら作ったプラカードを持って市民にもアピールするものです。

初日の4日には,国民的俳優と言われるアン・ソンギ,5日には主演男優賞を得たこともあるパク・チュンフン,きょう6日にはチャン・ドンゴンが参加し,7日には演技派俳優のチェ・ミンシクが参加を予定しています。

スクリーンクォーターとは,映画館の韓国映画上映期間を年間146日間とすることを義務づけている制度です。先月末,韓国政府は,韓米自由貿易協定(FTA)交渉開始の前提条件として米国が求めてきたスクリーンクォーターの5割減を受け入れ,今年7月から年間73日間にすると発表しました。

これに関連して,韓国政府は,翌27日,スクリーンクォーター縮小に伴う映画産業支援策を発表し,「今後5年間4000億ウォンの基金が韓国の映画産業に投入する。このうち国庫2000億ウォンは2007年と2008年の2年間にわたって支援し,残りの2000億ウォンは映画館からのチケット料金の5%の募金でまかなうとしています。

しかし,「スクリーンクォーターを守る映画人対策委員会」(共同委員長=アン・ソンギ,映画監督チョン・ジヨン)は「韓国映画の衰退をまねくもの」と激しく反発して,4日からの1人デモになりました。
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# by gakis-room | 2006-02-06 07:19 | 韓国あれこれ | Trackback | Comments(0)
2006年 02月 05日
韓国紙に賞賛された野茂英雄投手
2月1日の朝鮮日報は,野茂英雄投手の野球へのチャレンジ精神,情熱,野球界への功績を賞賛しています。韓国紙が日本人の野球選手をこのように賞賛することはきわめて異例のことのように思われます。

周知のように,彼のアメリカ大リーグでの活躍は,その後のイチロー,松井秀喜ら多数の日本人選手の大リーグ入りの先陣と道筋をつけるものでした。彼は,日米通算200勝をあげた功労で,朝日新聞の「05年度 朝日スポー賞」を受賞しています。

以下は,少し長いですが,「野茂英雄,授賞式で熱弁」との見出しの朝鮮日報の記事の全文です。

「この賞をもらった方は当然感謝していますが,あげる方も賞をあげた責任というか,今後,その選手をフォローしながら,今後のスポーツを,その競技を考えていただければいいなと思っています」

受賞の際の感想としては不適切極まりない。感謝の意の表明はしたものの,表彰した責任を感じ,当該スポーツに対するサポートをさらに求めた発言だ。米日の野球界のエースとして君臨した野茂英雄(37)だから言えた一言だった。

野茂は先月30日,日本の朝日新聞が主催した「05年度 朝日スポーツ賞」の授賞式で米日のプロ野球で通算200勝を上げた功労で特別賞を受賞した。
「去年,あまり良い成績(5勝8敗,防御率7.24)を残せなかったのに,このような賞を頂いてありがとうございます」とあいさつしたものの,野球に対する懸念や情熱は最高の成績を残した選手にも劣らなかった。

野茂は現在所属先が決まっていない。昨年はタンパベイ・デビルレイズを解雇され,後半からニューヨーク・ヤンキースと契約したものの,マイナーリーグのトリプルエーにとどまり,メジャー昇格は果たせなかった。

しかし,野球発展に貢献する姿は以前と変わらなかった。野茂はすでに米独立リーグの球団を所有しているほか,日本社会人野球に「野茂クラブ」を設立するなど,才能を持った若い後輩たちが力を発揮できる条件を整えようと総力を傾けてきた。

昨年,プロ野球ドラフト会議では「野茂クラブ」所属の選手が設立3年で初めてプロ球団の指名を受けている。

「僕自身はまだ球団が決まらず,練習だけの日々」と話す野茂は同日も川崎市のジャイアンツ球場で自主トレを行った。「準備は出来ています。今年は良いパフォーマンスを皆さんに見せたいと思います」

失敗を恐れない野茂のチャレンジ精神と野球に対する情熱は,依然として変わっていない。

以上の朝鮮日報の記事との関わりは不明ですが,朝日新聞の2月3日の夕刊のコラム「窓 論説委員室から」では,朝鮮日報とほぼ同じ内容の野茂の発言と彼の功績をつづった後で,「(スポーツ選手の)日の当たらない陰の努力を追って選手に寄り添い,彼らを支える競技の環境に目をこらしながら一緒に走っていきたい
野茂さんの直球スピーチを自戒を込めて受け止めた」と結んでいます。
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# by gakis-room | 2006-02-05 20:09 | つれづれに | Trackback(1) | Comments(0)
2006年 02月 04日
寒くても立春です
d0006690_1020830.jpgきょうは立春です。とはいえ,この冬一番の寒さのようです。立春寒波というそうです。私の町のきょうの最高気温は2度の予想です。

午前9時30分,ベランダのの気温は1.4度でした。風もありますから道路での体感温度は−2〜−3度くらいでしょうか。

寒さは明日も続きますが,あさってからは暖かくなりそうです。やはり立春です。近くの公園の梅のつぼみも少しふくらんできました。

「春は名のみの 風の寒さや」,早春賦の一節が思い出されます。
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# by gakis-room | 2006-02-04 09:46 | 花の手帳 | Trackback | Comments(0)
2006年 02月 03日
「船頭さん」,童謡雑感(続き)
「船頭さん」については2番の「雨の降る日も 岸から岸へ ぬれて船こぐ お爺さん」ここまでしか覚えていませんでした。この後はこのようになっていました。

雨の降る日も 岸から岸へ
ぬれて船こぐ お爺さん
今朝(けさ)もかわいい 仔馬(こうま)を二匹
向う牧場(まきば)へ 乗せてった
ソレ ギッチラギッチラ ギッチラコ

川はきらきら さざなみ小波(こなみ)
渡す にこにこお爺さん
みんなにこにこ ゆれゆれ渡る
どうも御苦労(ごくろう)さんと いって渡る
ソレ ギッチラギッチラ ギッチラコ

実は,この2番と3番は峰田明彦による戦後の改作だそうです。オリジナルは武内俊子によるもので,1941年7月に発表された原詞は以下の通りです。

雨の降る日も 岸から岸へ
ぬれて船こぐ お爺さん
今日も渡しで お馬が通る
あれは戦地へ 行くお馬
ソレ ギッチラギッチラ ギッチラコ

村の御用や お国の御用
みんな急ぎの 人ばかり
西へ東へ 船頭さんは
休むひまなく 船をこぐ
ソレ ギッチラギッチラ ギッチラコ

その風景の違いに驚かされます。改作の3番はチャラチャラしていますが,原詞は殺風景でいささかの詩情もありません。
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# by gakis-room | 2006-02-03 12:55 | つれづれに | Trackback | Comments(0)