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2011年 01月 31日
ちょっとした違和感,元禄15年12月15日
きのうときようが奈良の最高気温の下限の日です。平年の最高気温は8.0度,奈良のきようの最高気温は5.2度,平年よりも3.0度も低い,16日目の「絶対的に寒い日」でした。明日からは少しずつ暖かくなっていきます,平年では。

ところで,きょう1月31日は旧暦12月28日です。さかのぼって1703年1月31日は元禄15年12月15日です。前日の夜更けから赤穂浪士が吉良邸への討ち入りました。きょうの夜明け前,本懐をとげました。討ち入りを14日とするか,15日とするかは「吉良邸へ侵入」と「上野介を殺害」の日付の違いだけです。

問題は,多くの場合新暦「12月15日(14日)」を討ち入りの日とするのかと言うことです。旧暦8月15日を新暦8月15日にと置き換えるのも同じことです。韓国では旧暦8月15日(旧盆,「秋夕」)は正しく新暦に換算していますから,毎年月日が異なります。今年は9月12日です。

「旧暦と新暦,きょうは何の日」でも書きましたが,政府は明治5年12月3日(旧暦)を明治6年1月1日と読み替えて太陽暦を導入しました。この日以前の「きょうは何の日」しばしば季節感覚を無視します。

浅野内匠頭が切腹するのは元禄14年3月14日です。彼の辞世の歌です。
  風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん

3月14日に「春の名残」とはいぶかってみたくなります。しかし,元禄14年3月14日は1701年4月21日です。桜はすっかり葉桜でしょうが,「春の名残を いかにとやせん」も納得できます。

ちなみに,討ち入りの日,元禄15年12月14日は大雪とされています。東京(江戸)の寒さの下限は1月29日から2月2日の9.3度です。もっともこれは1971年から2000年までの統計です。
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by gakis-room | 2011-01-31 20:01 | つれづれに | Comments(0)
2011年 01月 30日
春隣(はるとなり)
「春隣」と言う言葉があるそうです。「寒さのすぐ隣に春が来ている」ということのようです。とすれば,奈良の寒さの下限の最高気温8.0度の30日,31日はまさしく「春隣」と言えそうです。「寒さの下限」と言うよりもちょっと嬉しさが滲んでいます。

その「春隣」の今朝の最低気温は−3.3度(平年差,−2.4度),最高気温は5.0度(平年差,−3.0度)です。明朝の最低気温は−4度,日中は6度止まりの予想です。しかし,明後日の朝こそ−4度ですが,日中は9度,それ以降は11度以上の予想ですから,きょう,明日は平年に比べればいささか「大寒」すぎますが,「春隣」と考えれば「カラ元気」は無用というものです。

ところで,きょうの最高気温の5.0度は13時33分のものですが,これはまやかしです。

  13時の気温  3.2度
  13時33分   5.0度
  14時の気温  2.1度

13時から30分間の間に気温は1.8度上昇し,その後の30分間で2.9度下降していることになります。きょうの最高気温の5.0度は束の間のことで,感覚としては「きょうの最高気温は3.0度」といった感じです。

午後8時間の気温はすでに−0.8度。「春隣」を呪文のように呟いています。1月としては,月最高気温の平均,最低気温の平均,平均気温の平均も,寒さの「いろいろある」を記録しそうな1月ですが,立春まではあと5日です。
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by gakis-room | 2011-01-30 20:56 | つれづれに | Comments(2)
2011年 01月 28日
奇妙な原稿
d0006690_8311339.jpg菅首相の施政方針演説のテレビ中継を聞いていて,菅首相が「目途」を「めど」ではなく「もくと」と何度も言うので,麻生元首相のように読み間違いかなと思いました。念のために調べてみると「目途」は「もくと」とも読むようです。知りませんでした。

ところで,週刊新潮の今週号に面白いと言うよりも奇妙な写真がありました。施政方針演説をする菅首相の原稿です。仙石全官房長官が「盗撮」と喚いた望遠レンズによる撮影です。

原稿の漢字のほとんどに読み仮名が振ってあります。読みにくい,あるいは間違えそうな漢字にと言うのではなく,たとえば「国会」にも読み仮名が見られます。記事に拠れば,麻生元首相は漢字を読み違えては,「KY」(漢字・読めない)とからかわれていましたが,答弁原稿に読み仮名を振っていそうです。

それに倣ったのでしょうか。この読み仮名は何のためでしょうか。記事の見出しは「国会冒頭でバレた『菅直人総理』の読める漢字と読めない漢字」になっていますが,まさか。それにしても奇妙な原稿です。

※写真は週刊新潮から,クリックすると拡大します。
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by gakis-room | 2011-01-28 15:45 | つれづれに | Comments(4)
2011年 01月 27日
日が長くなったなあ
d0006690_18285088.jpg今朝の最低気温は−1.3度でした。今月になって23回目の「冬日」です。最高気温は6.6度でした。こちらは13回目の「絶対的に寒い日」です。奈良の寒さの下限,寒さの折り返し点,8度の30日まであと3日。例年にない寒い冬が続いています。

私が喚いていても,それでも季節は確実に移って行きます。ずいぶんと日が長くなりました。

日の出は,1月22日に7時になりましたが,今朝は6時02分です。日の入りはと言えば,1月5日に午後5時時になり,きょうは午後5時20分です。きょうの昼時間は10時間23分です。冬至の時が9時間51分でしたから,昼時間は32分ほど長くなりました。

写真はきょうの日の入りです。平凡な日没間近の夕日ですが,ベランダから夕日を撮影できるのも間もなく終わろうとしています。

※写真はクリックすると拡大します。
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by gakis-room | 2011-01-27 18:29 | つれづれに | Comments(0)
2011年 01月 26日
バカげた慣習,衆議院議事進行係
「ぎちょ〜〜〜う,国務大臣の演説に対する質疑は延期し、来る八日午後一時より本会議を開きこれを行うこととし、本日はこれにて散会されんことを望みま〜〜〜す」

これは衆議院本会議の終了の儀式です。本会議終了の動議提出は与党議員のひとりが立ち上がってこのようにします。議長は「意義ございませんか」と議場に問い,複数の「異議なし」の声を確認し(?)散会を宣言します。きょうの代表質問の終了でもやっていました。この役割をする議員を「議事進行係」というそうです。

1894年の帝国議会が始まりのようです。いつからこの「議事進行係」の儀式が慣習化されたのでしょうか。何でも大物政治家への登竜門とも目されることがあるそうです。ウィキペディアによれば,竹下登,海部俊樹,森喜朗,羽田孜など元総理も経験しています。谷垣禎一自民党総裁も1986年7月からこの任を務めています。

きょうはちょっとしたハプニングが起こりかけました。小宮山泰子議員が儀式を行った後,院内各派の議場内交渉係が議長席横に集まり,(OKを議長に出すのだったのでしょうか)そこで中断しました。どうも誰か1人がサボったようで,全会一致の形式がとれなかったようです。

結局は,そのまま「本日は散会」となりましたが,このハプニング未遂が私にはきょうのテレビ中継(代表質問)の1番の見所になりました。

なお,参議院でも1993年まで議院運営委員の一人が動議提出にあたっていましたが,現在では議員の動議によらずに議長自らが議場に諮る方式がとられていようです。「良識の府」の数少ない一例です。
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by gakis-room | 2011-01-26 19:11 | つれづれに | Comments(2)
2011年 01月 25日
冬の到来がなかった?
d0006690_1965885.jpgこれまでも何度か書いてきましたが,「季節を告知するもの」,つまりは私の季節感覚ですが,「ハンドクリームを使い始めたら冬の到来」です。

しかし,昨年もハンドクリームはほとんど使わなかったように思います。今年もまだ1度も使用していません。何故なのでしょうか。水仕事と言っても食器荒いと外出から帰ったときの手洗いくらいですが,それを怠っているわけではありません。

老化とともにあちこちの「きしみ」を自覚されられるのに,まさか手だけが若返ったということもないでしょうに。

例年になく寒い日が続きます。22日目の「冬日」の今朝も所用で外出しましたが,手袋を忘れたためにもみ手を繰り返しながら,「冬の到来がなかった」と,マヌケな言葉が何度もよぎりました。

※写真はクリックすると拡大します。
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by gakis-room | 2011-01-25 19:29 | つれづれに | Comments(0)
2011年 01月 24日
「この国には見落とされた不条理がまだまだ残っています」なんだって,首相の施政方針演説
d0006690_1765956.jpg「この国には見落とされた不条理がまだまだ残っています」,これはきょうの首相の施政方針演説の一説です。菅首相はこの言葉に続けて「1人でも困っている人がいたら、決して見捨てることなく手を差し伸べる。その使命感を抱き、いくつかの特命チームを設置しました」とのべ,いくつかの特命チームを設置し,成果を上げたと言っていました。

しかし,ねえ,最大の不条理は菅内閣の存続のように思われます。鳩山内閣は自ら頓挫したのですから,その段階で「国民の信」を自ら棄てたことになります。ですから,その後を受けた菅内閣は直ちに国民の信を問うべきでした。

加えて,1年半前のマニフェストを不実行のまま,そのことへの何の釈明もないだけでなく,自民党比例代表で議席を得,その後,別政党を立ち上げて「民主党内閣打倒」とか言っていた人を重要閣僚にスカウトしたことも不条理です。

さらにはこんな言葉で演説を結びました「国民の皆様は、国会に何を期待しているのでしょうか。今の危機を脱し,将来の日本をどう築いていくのか、建設的に議論することを求めていると思います」と。

「国民の皆様が何を期待している」のは私には不明ですが,「国民の皆様」のひとりである私は内閣がその正統性を取り戻すことから始めなければならないと思っています。考えてみれば,「郵政解散選挙」で国会を占拠した小泉内閣の後を受けた安倍内閣は正統性のないまま,国家権力を弄んだあげく,自ら頓挫し「元祖政権投げ出し内閣」となりました。

それ以降,正統性を持ったのは鳩山内閣だけです。この内閣も「3代目政権投げ出し内閣」となりました。菅内閣に期待するのは,4代目になる前に国民に信を問い,内閣の正統性を回復することです。「擬製された民主主義」こそが最大の不条理ですから。

※写真は「近くの公園」のサザンカ,クリックすると拡大します。
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by gakis-room | 2011-01-24 18:14 | つれづれに | Comments(4)
2011年 01月 23日
白梅が咲き始めました
d0006690_15174513.jpg白梅が咲き始めました。きょうの「近くの公園」です。この季節,寒さにいじけて「近くの公園」には毎日行くわけではありませんから,きょう以前に咲き始めていたのかもしれません。

昨年,「近くの公園」の白梅の開花に気づいたのは,1月29日でしたから,昨年よりも6日ほど早いことになります。例年なく寒い毎日ですが,早くも春の兆しかと思うと,少し嬉しくなります。

奈良の寒さのピークは,最高気温では1月30,31日の8度,最低気温では2月1日の−1度です。きょうの発表の「週間天気予報」では,「最高気温は,平年並か平年より低く,最低気温は,概ね平年並の見込み」とのことです。

しかし,いうまでもなく寒さのピークは春への始まりです。立春(2月4日)まではあと12日です。

※写真はクリックすると拡大します。
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by gakis-room | 2011-01-23 16:19 | 花の手帳 | Comments(4)
2011年 01月 22日
80年代後半から暖かくなった,1月の気温の変移
奈良地方気象台のいう「平年」とは「1971年〜2000年」の30年間の平均ですが,ホームページでは1954年からの記録(4月以降は1953年から)を見ることができます。

一昨日の記事についてsaheizi-inokori さんからいただいたコメント,「50年ほど前と比べるとどうなんでしょうか。長野での経験ですがはるかに今より寒かったと思います」に触発されて,「1月の気温の変移」を調べてみました。

1月について言えば,1980年代の後半から,最高気温も最低気温も上方で推移しています。「温暖化」と言うのであれば,このころからでしょうか。8度は「平年」の最高気温の下限(1月30,31日)です。最低気温の下限は−1度(2月1日)です。

なお,10年毎の平均は以下の通りです。(1954年〜1960年は7年間)
         最高気温  最低気温
  1954−1960  8.3    −0.3
  1961−1970  7.6    −1.1
  1971−1980  8.6    −0.4
  1981−1990  8.3    −0.3
  1991−2000  9.2     0.3
  2001−2010  8.8     0.0
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by gakis-room | 2011-01-22 09:17 | つれづれに | Comments(2)
2011年 01月 21日
李舜臣銅像をめぐる論争,その後
d0006690_17291298.jpg「李舜臣銅像をめぐる論争」について書いたのは昨年の12月23日でした。
その論点は以下の5点でした。

  ①銅像が手にしている刀が日本刀
  ②右利きの李舜臣将軍が左手でなく右手に刀を持ち,降伏の意思表示
   をしている
  ③甲冑が中国式
  ④顔が標準画像に基づくものではなく彫刻家のもの
  ⑤銅像の前にある太鼓は立ててあるべきなのに,実際は横に倒されて
   いる

きょうの中央日報(電子版・日本語)によると,ソウル市は「李舜臣将軍の銅像は多数の考証資料を背景に制作されたもので,もう一度制作する計画もない」という立場を明らかにしたとのことです。

①手にしているのは日本刀
→「刀は顕忠祠にある李舜臣将軍の儀式用刀をモデルにして作った」
②右利きなのに左で刀を持っている
→「右手は人物の意志を代弁する,祖国守護に対する衷心と強烈な愛国心
 を表現した」
③甲冑が中国式
→「鎧は金殷鎬(キム・ウンホ)画伯が描いた絵(1952年)を参照し,服
                      飾専門家ソク・ジュソン氏の考証を経て制作した」
④顔が標準画像のものでない
→「李舜臣将軍の国家標準画像は,銅像が制作された後5年が過ぎてから指定されたため」

なお⑤「銅像の前の太鼓」については中央日報の記事では触れられていませんでした。

李舜臣将軍(韓国では歴史上の人物についても敬称を付すことが一般的ですのでまねてみました)は韓国史上代表的な「救国の英雄」と言うだけでなく,「歴史」への淡泊な日本人と違って,「歴史」へのこだわりからの論争のように思われます。

ところで,日本史の中に「救国の英雄」が存在しないことは,他国を侵略したことはあっても,侵略されたことがないと言う意味で,この国の歴史の紛れもない幸せのようにも思われます。

※写真は中央日報からの転載です。
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by gakis-room | 2011-01-21 18:43 | 韓国あれこれ | Comments(4)