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2007年 07月 31日
あきれ果てた安倍首相の記者会見
30日午後,安倍首相は参院選の大惨敗を受けて記者会見し,「政治の空白は許されない」と続投を正式に表明しました。また,「国民の声をうけて人心を一新する」とも言いました。この場合,「人身の一新」とは,本人を除く他を入れ替えるという「永田町用語」です。

つまりは,自身は居残り,自分以外の内閣と自民党の役員の一新をすると言うのです。しかも,それは9月1日前後になるそうです。すでに,中川幹事長,青木参議院議員会長は辞意を表明しており,自民党参議院について言えば,片山幹事長,景山副幹事長は落選しており,事実上,自民党参議院は機能停止に陥っています。

さらに,1カ月後に内閣改造と言うことになれば,この1カ月間は内閣自体が「死に体」となってしまいます。これを「政治の空白」とは言わないのでしょうか。

d0006690_1825933.jpgしかし,私があきれ果てたのは,記者会見での首相のとんちんかんではなく,同席した自民党役員諸氏です。テレビニュースの画面でも見られましたが,この人たち,一体なんのために同席したのでしょうか。

この写真を載せたのは,読売,朝日,毎日,産経,日経では,「一部メディアによる安倍バッシング」と名指しこそしないものの産経がいつも憤っている朝日だけでした。朝日は丁寧にも「居眠りする人もいた」と説明文まで付けています。

これでは,いくら産経が「改革推進へ『困難な道』選ぶ」と大見出しの記事を書き,「産経抄」で「逆境の泥にまみれながら,奮闘する姿が美しい」と持ち上げても,執行部のこの体たらくでは…。この1カ月,やれやれとため息が出てしまいます。
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by gakis-room | 2007-07-31 18:26 | つれづれに | Comments(2)
2007年 07月 30日
「美しい責任の取り方」をほっぽり出し,「再チャレンジ」を恐れた「敗北からの脱却」・安倍首相の続投宣言
大惨敗にもかかわらず,安倍首相は「私の国造りは,まだスタートしたばかり。国民との約束,責任を果たしていくことが私に課せられた使命」と続投を表明し,連立相手の公明党も,これを容認するようです。

安倍首相が自らの使命をどのように考えようと,それは自由ですが,彼には大きな見当違いがあります。参院選が政権選択の選挙ではないとしながらも,つまりは中間テストだとしながらも,「国家の指導者としてどちらがふさわしいか」と期末テストに領域を移して,争って負けたわけですから,ここは総辞職がことの論理的帰結のように思われます。

それでも,「私の国造り」のために続投するというのであれば,毎日新聞,中日新聞(東京新聞)の社説の言うように,早期に衆院を解散し,改めて(国民に政権選択の)信を問うのがことの道理です。

論理的帰結といえば,自民党の後藤田正純議員の発言もまっとなものです。彼は昨日の日テレ系の特番「ZERO × 選挙2007」で安倍首相の退陣を求めて次のように述べています。

「責任をどう取るのか,模範を示す。日本に規律、責任の概念がなくなっている。『美しい日本』なら,美しい責任の取り方,『再チャレンジ』ならば,政治家としての再チャレンジもある」

安倍首相の続投宣言は,「美しい責任の取り方」をほっぽり出し,「再チャレンジ」を恐れた「敗北からの脱却」ということになりましょうか。
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by gakis-room | 2007-07-30 17:29 | つれづれに | Comments(8)
2007年 07月 29日
7月29日・この不透明な世界
25日から旅行していました。帰宅して旅装もとかないで,そのまま投票所へ。駆け込み投票を終えてまずはビール一杯。

きょうの午前中のソウルの空模様はまるで黄砂の時のように視界が不透明でした。曇りと言えば曇りなのですが,雲があるわけでなく,今にも雨が降り出しそうな空模様でした。遠くはまったく見えません。関空からの帰り道,リムジンの車窓からの西の大阪湾も,東の生駒山も同じような不透明さで,遠くはほとんど見えませんでした。

この不透明な空模様は何なのでしょうか。どちらが「国家の指導者にふさわしいか」と言いながら,政権選択ではないと言ってきました。「国家の指導者としてのふさわしさ」を選択するのであれば,それは「政権選択」以外のなにものでもありません。

「野党が参議院で多数派になれば,国が混乱する」とも言っていました。これはあからさまな国民への恫喝です。午後8時9分の毎日新聞の電子版は自民党の獲得議席について「全体では橋本政権下の98年参院選の44議席を下回るばかりか、40議席に届かない可能性も出てきている」としています。

8時から始まったNHKの出口調査の速報では自民党の惨敗が予想されています。不透明な夏になりそうです。
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by gakis-room | 2007-07-29 20:32 | つれづれに | Comments(8)
2007年 07月 25日
美ら海水族館でのこと  沖縄についてのメモ・3
前回3度目の沖縄は,10年以上前のことです。首里城の正殿が復元された直後のことでした。それからずいぶんと変わりました。首里城は「首里城公園」として多くの復元がなされ,琉球王朝時代の展示が丁寧になされていました。

そして「首里城公園」は「美ら海(ちゅらうみ)水族館」をメインとする「海洋博公園」とともに「国営沖縄記念公園」を構成していました。那覇空港も新しくなり,モノレールも那覇市内を走っていました。

「美ら海水族館」は初めてです。正確に言えば,2002年にオープンする以前の「海洋博記念水族館」には行っていますから,2度目ということになるかも知れません。しかし,以前のものとはすっかり違っていました。以前にも巨大水槽はありましたが,これほど大きくはなかったようです(現在のものは横22.5m,高さ8.2m)。規模も拡大されていました。

d0006690_4115233.jpg【歯医者不要のサメの歯】
サメの歯は口腔の内側から外へ,登りのエスカレーターのように押し出されていことを初めて知りました。

使用中の1番外側が抜け落ちろと,内側の2番目が回転するように外に押し出されるというものです。

現在,歯医者に行かなければならないのに,億劫がっている私には羨ましい限りです。もっとも,歯磨きが大変なであろうなとも思います。

d0006690_412885.jpg【この示威は何であろうか】
テナガオオホモラというカニの一種です。「一番後ろの足で海綿などを背負う」と説明にありましたが,背負うと言うよりも持ち上げて,威張っています。

水槽には1匹しか見あたりませんでした。一体,この示威は何でしょうか。1日中持ち上げているのでしょうか。今でも気になります。


d0006690_4122321.jpg【廃校寸前のメダカの学校】
この前にメダカを見たのはいつだったでしょうか。中学生の時だとすれば半世紀前になります。

説明では「今や絶滅危惧種。住んでいた場所がどんどんなくなり,絶滅が心配される魚になりました」とありました。水族館でメダカを見るとは思ってもいませんでした。

水槽には数匹しかおらず,過疎地に残された貴重な「メダカの学校」でした。
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by gakis-room | 2007-07-25 04:17 | つれづれに | Comments(2)
2007年 07月 24日
カリー・かりゆし  沖縄についてのメモ・2
d0006690_1328826.jpgこんなものを食べました。上が刻んだ「ミミガー(豚の耳)」のピーナッツあえ。手前の左が「島らっきょうの浅漬け」,右が「豆腐よう」です。

「島らっきょうの浅漬け」は塩もみしたような感じでした。らっきょうにしては小振りで,ワケギの根もとの雰囲気で,歯ごたえもよくおいしくいただきました。

「豆腐よう」は豆腐を泡盛の紅麹で漬け込み,発酵・熟成させたものです。これは,爪楊枝でほんのちょっとだけ欠いて,ちびちびと食べるのだそうです。

d0006690_13282514.jpgスクカラス豆腐。スク(アイゴの稚魚)のカラス(塩辛)を島豆腐の上に貼り付けたものです。背びれに注意し頭から食べるとのことでした。

最初の一杯は地元のオリオンビール。後は泡盛「春雨カリー」をロックで。メニューの説明に「カリー(嘉例)は『かりゆし』ともいう。古くも香り高く,強くもまろやか。辛くも甘いと評される晩品」とありました。

「晩品」は「逸品」の誤植でしょうが,「かりゆし」とは「おめでたい」ということのようですが,「嘉例」とは知りませんでした。知人の話では,乾杯の時,「カリー」と言うそうです。

手元の漢和辞典では,「嘉例…よいためし。良い前例」とありました。
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by gakis-room | 2007-07-24 13:30 | つれづれに | Comments(4)
2007年 07月 23日
沖縄についてのメモ・1
2泊3日の沖縄旅行でした。知人に会うことが目的でしたから,観光は二の次でした。とはいえ,いくつかの新しいことを知ることができました。忘れないうちにメモしておきます。

d0006690_2212910.jpg【タマウドゥン】
王家の墓のことです。漢字では「玉陵」と書きます。歴代の琉球王は個別の陵墓を持たず,1カ所に合葬されています。3つの建造物の左の東室が,王と王妃の墓,右の西室は限定された王の一族が葬られています。

しかし,埋葬には沖縄固有のやり方があったようです。建造物の中央が洗骨前の遺骸を安置する中室です。詳細は私には不明ですが,どうやら遺体は中室に置かれ,朽ちて骨になった段階で洗骨され骨壷に納めされて左右の部屋に安置されたようです。

このあたりの宗教意識は,例の沖縄の各地で見られる壮大な墓とともにとても興味深く思われました。

d0006690_22122581.jpg【首里城の石垣】
2002年に首里城は大々的に復元されました。写真は出口に当たる「久慶門」です。ここに限らず沖縄の城壁は石灰岩でつくられています。

石灰岩の性質から,当初は白っぽいうす茶色ですが,風雨にさらされると黒くなります。楼閣の陰になった部分だけが,白さを残していました。

また,石の階段も1段1段は水平ではなく,手前に傾斜しています。これも雨水をすばやく流して,石への影響を極力小さくするくふうだそうです。

こんなことを係の人から教えていただきました。

d0006690_2212409.jpg【アカヌウジョウ】
アカヌは「開かない」の意味です。ウジョウは琉球語で「門」のことです。つまり「開かずの門」という意味です。

「美ら海水族館」を含む「海洋博公園」の中の「おきなわ郷土村」で見ました。この門は地方領主の代官に当たる「地頭代の家」ですから,庶民の家にはありません。

ここでお茶と黒糖をふるまってくれた古老の説明によれば,この門が開けられるのは冠婚葬祭の時だけだそうです。彼女は言います,「女が一度この門から入れば,死ぬまで家を出ない,そういう時代だったのです。今は,沖縄でも簡単に離婚しますね」と。

しきたりの厳しさはここでも女に「我慢」を強いていました。
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by gakis-room | 2007-07-23 22:16 | つれづれに | Comments(4)
2007年 07月 22日
とりあえずの更新・沖縄に来ました
旧暦6月の沖縄は、最高に暑いと「郷土村」の古老は言っていました。最悪の季節に沖縄に来たのでしょうか。
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by gakis-room | 2007-07-22 23:03 | つれづれに | Comments(4)
2007年 07月 21日
ちょっぴり悔しいこと・平年よりも涼しい7月の気温
7月の奈良の最高気温の平均は20日までは27.8度で,昨年に比べて−1.5度,平年に比べて−1.9度低く,これを21日に記事にするべく,グラフまで用意していました。

しかし,悔しいことに,昨日の朝日新聞の夕刊に「予想あれれ 寒い7月」との記事があり,先を越されました。私と朝日新聞の記事との違いは,私が最高気温であるのに対して,朝日新聞は1日の平均気温を問題にしているところです。

生活の感覚からは,私にとつては1日の平均気温よりも,最高気温(冬季は最低気温も加わります)がやはり気になります。それで,「観点が違うぞ」と無理矢理言い聞かせせることにしました。

1993年の7月を加えたのは,朝日新聞の記事から,その年が冷夏でコメ不足となり,タイ米が輸入された年であると知ったからです。

d0006690_923127.jpg

平年では,7月13日から9月5日まで,最高気温が30度を超える真夏日が55日間続きます。しかし,今年は3,7,10日の3日間だけが真夏日で,あとはすべて平年を下まわっただけでなく,真夏日もありませんでした。

昨年は,20日までに真夏日が9日間あり,一休みの後,7月26日から8月29日まで真夏日が続きました。週間予報では,23日くらいから真夏日が予想されていますが,参院選を含めて灼熱となるのでしょうか。

涼しい7月です。今年はまだクーラーのお世話にはなっていません。
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by gakis-room | 2007-07-21 09:23 | つれづれに | Comments(8)
2007年 07月 20日
四万十川市で見たもの・四国バスツアー その3
d0006690_10572754.jpg【水  車】
「安並水車の里」には,大小あわせて12基の水車がありました。今は,もっぱら観光用で,実用はされていません。

挽いたり,ついたりする水車の原理は知っていましたが,水引用の水車の理屈はわかっていませんでした。水引用の水車のすべてか道かはわかりませんが,これをみてようやくわかりました。


d0006690_10574254.jpg【矢印の部分の拡大図】水車の横にいくつかの箱が斜めに付いていて,それで水をくみ上げ,その箱が上段に行った時,樋に落とす,そして樋を組み合わせて,水田に水を引き込むという簡単なことでした。

1つの箱がくみ上げる水量はずいぶんと少ない事が意外と言えば意外でした。


d0006690_1058013.jpg【幸徳秋水の墓】
町中の小さな墓所にありました。幸徳秋水はこの町の生まれで,生家は酒造業・薬種業を営む豪商で,彼は秀才であるだけでなく,政治的にもかなり早熟だったようです。

墓所は,それほど手入れされていませんでした。並んだ幸徳家の墓の真ん中に秋水の墓がありました。

案内には,彼が大逆事件で刑死した1月24日(死刑判決の6日後,1911年)に,毎年,墓前祭が行われているとありました。

彼の死後,90年後に「幸徳秋水を顕彰する会」が2000年3月26日発足し,当時の中村市(現四万十川市)議会も,2000年に「幸徳秋水を顕彰する決議」を行っています。

「幸徳秋水を顕彰する決議」
幸徳秋水はこの90余年の間、いわゆる大逆事件の首謀者として暗い影を負い続けてきたが、幸徳秋水を始めとする関係者に対し、20世紀最後の年に当たり、我々の義務として正しい理解によってこれを評価し、名誉の回復を諮るべきである。よって中村市議会は郷土の先覚者である幸徳秋水の偉業を讃え顕彰することを決議する。
   平成12年12月19日
     中村市議会

d0006690_10581632.jpg【県境線】
県境をしめすものははたいていは看板ですが,「県境線」を始めてみました。四万十川の源流四国カルストの東端,天狗高原にある国民宿舎「天狗荘」の横に引いてありました。

ここに立つと,まさしく「2県をまたぐ」ということになります。県境線は建物の1階と2階にも引かれているそうですが,それは確かめられませんでした。

ところで,この建物の住所は高知県高岡郡津野町です。
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by gakis-room | 2007-07-20 11:01 | つれづれに | Comments(8)
2007年 07月 19日
四万十川と火振り漁・四国バスツアー その2
四万十川は「最後の清流」とも言われますが,河口から13キロ以上の上流には堤防はありません。この日は台風後のために,清流ではありませんでした。

四万十川は全長196キロの日本で10番目に長い川です。第1次支流が70,第2次支流が200ほどあり,それらは四万十川が注ぎ込み,大きな蛇行をいくつも繰り返して,土佐湾に流れ込みます。

d0006690_16542288.jpg増水時には,場所によっては水位は15メートル以上もあがります。「暴れ川」の猛威から橋を守るために工夫されたものが「沈下橋」(ちんかばし)です。

「沈下橋」には,欄干はありません。水面下に沈下したときの抵抗をできるだけ小さくするためです。「沈下橋」は本流だけでも21橋あるとのことでした。

写真の「沈下橋」は幅3.5メートル,全長145メートル。なお,環境省が2001年10月に選定した,「かおり風景100選(かおりふうけいひゃくせん)」のひとつが「四万十川の沈下橋をわたる風」です。

d0006690_16543862.jpg「火振り漁」は十和地区の伝統漁法のひとつです。日没後,2番星が見えると始まります。まずは,松明に点火です。持ってみましたが,けっこうな重さです。

d0006690_16545124.jpgあらかじめ網をしかけておきます
  網の大きさ 高さ1m×幅20m
  これをいくつも繋ぐ
  通常は5〜6枚。最大3kmに及ぶという

仕掛けた網で囲った中で,松明を大きく8の字に振ります。その明かりに鮎は驚き逃げ回り,それを網に掛けるというものです。

d0006690_1655765.jpg網につっこんだ鮎はその段階で絶命。この日の収穫は16尾,うち鮎は4尾でした。きょうのように川が濁っているとき,満月の時は,通常は漁をしません。松明の明かりで鮎を驚かすことができないからです。

川水のにごっているこの日の漁は当然観光用です。もっとも,火振り漁で松明を使うのももっぱら観光用です。現在はサーチライトを使います。火振りは重労働に加えて,火の粉を浴びるからです。
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by gakis-room | 2007-07-19 17:02 | つれづれに | Comments(2)