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2006年 07月 31日
詩仙堂と一乗寺下り松あるいは文と武
d0006690_5593552.jpg詩仙堂は静かでした。季節はずれのこの時期は,訪れる人もほとんどなく,建物の名前の由来となった「詩仙の間」からの風景はセミの鳴き声もありませんでした。

庭では,詩仙堂を営んだ石川丈山が考案し,自らも晩年はその音を慰めにしたという「ししおどし」がやけに乾いた音を響かせていました。

石川丈山は不思議な人です。若くして家康に仕えた「三河武士」でありながら,文にも秀でた人でした。日本朱子学の祖とされる藤原惺窩の高弟として,儒学者としても高名であり,また,隷書については屈指の書家でもありました。

煎茶も彼に始まるとか。それでいてなお武を怠らなかったというのですから,この場所にいるとすっかり打ちのめされた気分になってしまいます。


d0006690_559488.jpg詩仙堂の隣に八大神社があります。若き日の宮本武蔵が吉岡一門70余名との「一乗寺下り松の決闘」に臨んで,その勝利を祈願しようとした神社です。

そのとき,武蔵は祈願を中断し,「我れ,神仏を尊んで,神仏を恃(たの)まず」との悟りを得たとされています。

武蔵もまた,文武両道の人でした。「下り松」は現在は4代目だそうですか,住宅街の辻角にあります。丈山といい,武蔵といい,つくづくと「いやになってしまう」人です。
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by gakis-room | 2006-07-31 23:45 | つれづれに | Trackback | Comments(2)
2006年 07月 30日
7月30日
タイトルを「7月30日」としたことに他意はありません。日記風にしてみただけのことです。それで改めて,
7月30日。朝から,近くの公園では激しいセミ時雨です。セミ時雨は近くの公園からだけでなく四方から聞こえてきます。

きょうも暑い1日でした。奈良の最高気温は33.2度で,これで最高気温が33度を超えるのは5日連続です。午後6時でも,気温は30度でした。

とはいえ,日中は部屋の中を風がよく抜けて,じっとしている限り暑さは気になりませんでした。湿度が50%前後だったせいもあるかもしれません。クーラーをつけたのは,風が部屋に入らなくなった午後7時過ぎのことでした。

気象庁もようやく梅雨明け宣言です。正しくは,「梅雨明け宣言」ではなく,「梅雨明けしたとみられると発表した」です。「宣言」ではなく「みられる」と慎重になったのはいつのころからでしょうか。

きょうは文豪の命日でもありました。伊藤左千夫(1913年),幸田露伴(1947年),谷崎潤一郎(1965年)。明治天皇の死去も1912年のきょうでした。翌年の1913年から1926年までは,この日を「明治天皇祭」としてしていましたが,1927年からは明治天皇の誕生日を太陽暦換算した11月3日の「明治節」に変わります。

戦後は「明治節」を読みかえて「文化の日」となりました。私には巧妙な仕掛けに見えて,「文化」がかわいそうな気もします。例の靖国参拝に関わる昭和天皇の発言「メモ」の余波はまだ続いているようです。この国はどうも「天皇好き」みたいです。
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by gakis-room | 2006-07-30 23:45 | つれづれに | Trackback | Comments(5)
2006年 07月 29日
イチローの気概とジーコ・ジャパン
大リーグのイチローは26日,日本での通算安打1278本を越えて,大リーグての安打数を1279本としました。新聞報道によると,イチローは軽快な口調でインタビューに答えていました。

私が「ああ,やはりこれだったのだな」と思ったのは次の発言です。
「(日本での通算1278本の安打は)こちらでは『どうせ日本での記録だろ』と軽い感じで受け取られたりすることがある。だから『そうじゃないよ』と」。私はこれがWBCでのイチローの異常なまでの精神的な昂揚の理由だったのだ思ってきました。

イチローは日本での通算安打1278本を951試合で達成しました。そして大リーグでの1279本を日本でよりも54試合早い897試合で達成しています。イチローの精神的昂揚は日本の野球を,あるいは私イチローを軽んじられてきた5年間へのリベンジだつたと思っています。

それで,ふと思いました。中田英寿とイチローの違いは何だったのだろうかと。王監督と実質的な主将であったイチローとのラインはチームに求心力を生み出しましたが,ジーコ監督とのラインは中田ではなく,宮本主将でした。つまり,ゲーム中に限らずジーコ・ジャパンは,ジーコ監督−宮本主将,ジーコ監督−中田という複数のラインが最後まで統一されることなく分散したままで,チームの求心力が生み出されることはなかったというのが私の感想です。

ジーコ・ジャパンが敗れた後,後出しジャンケンのような敗因分析にはうんざりしてきました。ついでに言えば,WBCに敗れたアメリカに対して産経新聞は「国旗を背負った意気込みが足りなかった」と評していましたが,「サッカー・ジャパンに同じことを言ったらどうだね」とその「愛国大好き」に私は軽口をしっかり楽しませていただきました。
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by gakis-room | 2006-07-29 23:51 | つれづれに | Trackback(1) | Comments(4)
2006年 07月 28日
日本でも採用したい韓国式テレビ募金
d0006690_15391430.jpg27日,28日のソウルは断続的な大雨でした。韓国政府は水害救援のためにすで1500億ウォン(約185億円)の臨時支出を決定しています。

韓国の全国的なテレビ網は日本のNHKに相当するKBC(韓国放送公社)1と2,MBC(文化放送),SBS(ソウル放送)の3つです。私がソウルについた24日にはどのテレビ局もすでに水害義捐金の募金キャンペーンをしていました。

日本でも災害救援の募金は行われます。そのやり方は郵便局か銀行からの振り込みです。募金に応じるためには,時間を作って郵便局か銀行へ出向かなければなりません。この時間を作るテマ・ヒマは容易なことは思われません。

しかし,韓国の募金活動は違っています。いたって簡単です。テレビ画面の右上に指定された電話番号へ電話をかけるだけで募金ができます。

電話をかけると「こちらはMBCの水害救援です。この電話は2000ウォンです。よろしければそのままで,だめなら電話を切ってください」と音声が流れ,切らないでいるとピーとなって「ありがとうございました」と音声が続いて募金は完了です。

画面の右上には「募金の呼びかけと指定電話番号」と「募金の現在高」が交互に表示され続けられています。28日の午前9時頃には,募金総額は20億196万4千ウォン(約2億5千万円)に達していました。

局によっての多少はあるのでしょうが,単純に計算して3局で7億5千万円以上の募金がこの日までに寄せられたことになります。時間を問わず居ながらにして応募できるこの方式は水害救援に限らず,年末などの定期の募金活動でも行われています。

どのようなシステムになっているのかはよく分かりませんが,日本のテレビ局でも採用してもいいように思います。いいえ,是非採用すべきです。
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by gakis-room | 2006-07-28 23:45 | 韓国あれこれ | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 27日
李承晩と金日成の別荘
d0006690_14435122.jpg李承晩と金日成の別荘はコソン統一展望台からそんなに遠くないところにあります。そして2つはそれほど離れてはいません。南北分断の宿敵同士が近くに別荘を持つたのは歴史のあやなのでしょうか。

しかも,2つは「花津浦(ファジンボ)歴史安保展示館」としてセットになっていました。私が訪れた日は雨でしからでしょうか,先に来ていたグループが帰った後はどちらも私ひとりになってしまいました。

興味をそそられたの外観のはともかくも,共に海の見える窓外の景観はよいのですが,とてもこじんまりした質素ものでした。李承晩のものは,6畳くらいの寝室と執務室と12畳くらい会議室の3室だけです。

d0006690_1444866.jpg金日成のものは,2階建ての「花津浦の城」と名付けられていたものを使用したようです。全体の広さは李承晩のものの倍くらいでした。ベッドの横に大型の無線機らしきものがあつたのが印象的でした。

ここは1953年以降は韓国域になりましたから,彼が権力を完全に掌握して独裁者となるまでに使用したものと思われます。

李承晩は独裁者とはいえ,私生活は質素だつたとのことです。しかし,金日成のものもそうですが,寝室,執務室と会議室だけの建物が別荘であったとは不可解です。夫人の部屋,護衛の者たちの控え室,そして何よりも食堂,浴室などは別棟として繋がっていたのかもしれません。
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by gakis-room | 2006-07-27 23:45 | 韓国あれこれ | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 26日
コソン統一展望台に行ってみました
d0006690_10594829.jpg東海岸にある高城(コソン)統一展望台から見た北朝鮮域です(中程の島のような場所は韓国域)。統一展望台はソウルの北西のオドゥサン統一展望台がよく知られています。

オドゥサン統一展望台は,ソウルからもそれほど遠くなく,また,イムジン江を2つに分割するように軍事分界線があるからでしょうか,簡単に行くことができます。また,北朝鮮域は川の向こうという気安さもあります。

しかし,コソン統一展望台は陸続きですから,オドゥサン統一展望台とは違うちょっとした緊張感がありました。展望台を見学するためには申請手続きも必要です。

とはいえ,板門店のように兵士がいるわけではありません。写真にはありませんが,左後方が北朝鮮域の金剛山(クムガンサン)です。


d0006690_110245.jpg軍事分界線に至る道路には,両側に巨大なコンクリートブロックが並べられています。有事の際には,これが爆破されて敵の戦車群の侵入を防ぐものだそうです。

この場所は道路と鉄道が併行しているためか,鉄道を遮断するためのものならんでいます。道路を遮断するためのものはソウルの北方で何度も見ましたが,鉄道を遮断するためのものを見たのは初めてです。

統一展望台からは軍事分界線は見えませんが,彼方の山間をぬって大軍がこちらに進撃してくる図を想像していると,周りから聞こえてくる話し声や笑い声に理由のない違和感を感じてしまう変な感じになりました。


d0006690_1101471.jpg東海岸の海水浴場はよく澄んでいてとてもきれいです。しかし,砂浜へは金網のフェンスを越えなければなりませんから,決められた出入り口からしか行くことができません。夜は兵士が巡回をしていました。

金網のフェンスには,石がはめられています。この石が落ちていれば,何者かが侵入したことになります。西海岸のものはもっとびっしりと石がはめられていましたが,この地域のものはなぜか少しでした。

写真で見る以外には,陸続きの国境なるものはアメリカとカナダとのものしか知りませんが,単なる分断ではなく「休戦しているにすぎない」分断国家を私はしばしば忘れてしまっています。
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by gakis-room | 2006-07-26 23:45 | 韓国あれこれ | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 25日
「ピョンヤンから来た国宝たち」
d0006690_20142749.jpg梅雨明けが待ち遠しいソウルです。韓国の中部から北部にかけては連日の大雨で,被害も少なくないようです。

ソウルの国立中央博物館の企画展,「ピョンヤンから来た国宝たち」を見に行きました。前期は6月13日〜8月16日までです。(後期は8月28日〜10月26日)

展示品の数はそれほど多くありませんでしたが,そのほとんどが北朝鮮の国宝という豪華版です。この機会を逃せば,北朝鮮へ行かなければ見ることができない品々です。

前期のメインは高麗王朝を建てた王建の陵墓から出土した王建のブロンズ像です。予想よりは小柄な感じで,顔つきについては作為されたものでしょうが柔和なものでした。

写真にある高麗時代の仏像も素敵でした。個人的には,私の好きな朝鮮王朝時代の風俗画の達人,申潤福の風俗画ではない「松鷹図」がおもしろいと思いました。

しかし,不満もありました。説明文が韓国語と英語だけで日本語はありませんでした。常設展では簡単なものですが,日本語の説明文があります。まあしかし,これは韓国語も英語も理解できない私のわがままです。

博物館での写真撮影不可は日本ではほとんど常識ですが,国立中央博物館の常設展では多くが写真撮影可です。それでカメラをもっていそいそと出かけた私でしたが,この企画展はすべて写真撮影不可でした。これが二つ目のわがままな不満です。

それなりに納得して退出しましたが,不満の八つ当たりとして「最高の国宝といえば檀君の遺物じゃないか,なぜそれがない」と憎まれ口をたたいたものでした。檀君(だんくん,タングン)は最初に朝鮮北部を支配したとされる神話世界の王(BC2333年に即位したされる)ですが,北朝鮮は檀君の墓を発見したと公表しているからです。
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by gakis-room | 2006-07-25 23:45 | 韓国あれこれ | Trackback | Comments(6)
2006年 07月 24日
チョコレート異変
d0006690_9275334.jpg好みのビターチョコレートが手に入りにくいと嘆いたのは今年の2月14日(「常備品としてのチョコレート」)でした。

しかし,チョコレート異変とでもいうべきでしょうか,5月頃からスーパーのチョコレートの棚は「高カカオチョコレート」にあふれています。しかも,各メーカーが競ってカカオ分の多いチョコレートを作っています。

カカオ分72%どころか,カカオ分86%,なんとカカオ分99%のものまで現れました。これまではカカオ分の含有量までは表示されていませんでしたから,やはり異変です。

なぜ,このように高カカオを競うようになつたのか私には分かりませんでした。「苦い」と思うけれど,高カカオチョコレートを食べているという女子大学生が教えてくれました。

何でもテレビ番組で「カカオポリフェノールが健康(美容だったかな)によい」と言っていたそうです。以来,彼女の友人の中にも,チョコレート愛好家が少なくないと言っていました。

とっかえひっかえ健康食品が流行してきましたが,さしあたり今は高カカオチョコレートブームとてもいうのでしょうか。カカオ分99%を食べてみました。苦さだけで,美味しくもなんともありませんでした。

私はこれまで食生活で栄養のバランスを考えたことがありません。ましてや「健康のために」我慢して食するなんて論外でした。美味しいと感じるものだけを食べてきました。

72%,86%,99%を食べ比べてみて,美味しいと思ったのは72%でした。いずれこの高カカオチョコレートブームは廃れるのでしょうが,しばらくはビターチョコレートに苦労しないですみそうです。
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by gakis-room | 2006-07-24 09:29 | つれづれに | Trackback | Comments(10)
2006年 07月 23日
「近くの公園」では3種類のムクゲが咲いています
d0006690_15531891.jpg「近くの公園」のムクゲは毎日沢山の花を咲かせるようになりました。私がムクゲの花を待つようになったのは昨年からです。

これまでにも書いたことですが,,ブロクを始めてから,少しだけですが,自然の変化を気づくようになりました。ムクゲにも純白のものや八重のものがあることを知ったのは今年になってからです。

「近くの公園」には3種類のムクゲがありました。まだ,花を咲かせていないムクゲが2本ありますが,はたしてどのような花をさかせるのでしょうか,楽しみです。

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d0006690_1554329.jpg左のピンクのムクゲは,実際にはもう少し濃いピンク色をしています。「近くの公園」にはなく,いつも買い物に行くスーパーへの道すがらに咲いています。

これも今年知ったことですが,ムクゲの樹皮は薬草にもなるそうです。それで思い出しました。20年ほど前に中国へ行ったとき「ムクゲチンキ」なる水虫の薬をおみやげに買ったことがあります。

20年を経て,あの強烈な「ムクゲチンキ」と「ムクゲの花」がつながりましたが,花の印象からは知らなかったほうが良かったかな,とも思いました。
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by gakis-room | 2006-07-23 16:38 | つれづれに | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 22日
富田元宮内庁長官メモ・気になる毎日新聞の社説
富田元宮内庁長官の「昭和天皇が靖国神社への参拝をやめたのは,A級戦犯の合祀が原因」とのメモが公表されたことが大きな波紋をよんでいるようですが,私には不可解なことです。

なぜなら,「内閣の助言と責任に基づく」天皇の公的発言はもとより,漏れ出た私的発言はなおさらのこと基本的には問題にすべきでない,というのが「象徴天皇制」の原則であるからです。これは「女性天皇制」あるいは「女系天皇制」について皇室の意見を聞くべきだとの言説に対しても,同じ事です。

天皇の私的発言に右往左往する姿は,私には憲法の原則である「国民主権」がいまだに分かっていないとしか思われなく,嗤ってしまいます。全国紙も同じです。21日の社説で一斉に取り上げていましたが,いずれも「首相の靖国神社参拝」についての持論の補強にしていました。

産経新聞は狼狽していました。「メモでは,昭和天皇は松岡氏と白鳥敏夫元駐伊大使の2人の名前を挙げ,それ以外のA級戦犯の名前は書かれていない」から「メモだけでは,昭和天皇が14人全員のA級戦犯合祀に不快感を示していたとまでは読み取れない」と強弁しています。

その上で「A級戦犯分祀の是非論に利用すべきではない。まして,首相の靖国参拝をめぐる是非論と安易に結びつけるようなことがあってはなるまい」とのべ,「小泉純一郎首相は富田氏のメモに左右されず,国民を代表して堂々と靖国神社に参拝してほしい」と結んでいました。

読売新聞は渡辺会長の意に沿って(?)「靖国神社には,宗教法人としての自由な宗教活動を認める。他方で,国立追悼施設の建立,あるいは千鳥ヶ淵戦没者墓苑の拡充などの方法を考えていく。『靖国問題』の解決には,そうした選択肢しかないのではないか」とと結論づけていました。

朝日新聞はメモを持論の補強にして,「だれもがこぞって戦争の犠牲になった人たちを悼むことができる場所が必要だろう。それは中国や韓国に言われるまでもなく,日本人自身が答えを出す問題である。そのことを今回の昭和天皇の発言が示している」と読売新聞と同じ結論でした。

ことのついでに産経新聞批判を批判しているのがおもしろいと思いました。
「昭和天皇が靖国参拝をやめたのは合祀が原因ではないとする主張が最近,合祀を支持する立場から相次いでいた」 「75年に三木武夫首相が私人として靖国参拝をしたことを機に,天皇の参拝が公的か私的かが問題になったとして,『天皇の参拝が途絶えたのは,これらが関係しているとみるべきだろう』(昨年8月の産経新聞の社説)という考えだ。こうした主張にはもともと無理があったが,今回わかった昭和天皇の発言は,議論に決着をつけるものだ」

さて,毎日新聞です。
メモを前提にして,「戦没者に感謝と哀悼の誠をささげるための施設として議論の余地がないなら,なぜ内外で大きな論議を呼ぶのだろうか。その最大の原因は,A級戦犯合祀にある。その事実を冷静に考えるならば,いまの状態で首相が靖国神社に参拝するのは,やはり適切ではない」と首相参拝を批判しています。

毎日新聞で気になったのは以下の2点です,

①「戦前の靖国神社は,国民が戦死者をとむらう宗教施設ではなかった。天皇が,天皇のために戦死した軍人たちの栄誉をたたえる顕彰施設だった。戦死者の遺族は「息子が天子様のお役に立てた」という論理で悲しみを癒やされる建前だった。だから天皇による親拝は靖国神社の本質だったのである」

「靖国神社=非宗教施設・顕彰施設説」を,私はこれまで知りませんでした。これは,私にとっていずれはっきりさせなければならない問題です。


②「中曽根康弘氏は首相として1985年に靖国神社を公式参拝したが,中国の批判を受け翌年の参拝を断念した。この時,富田元長官は『靖国の問題などの処置はきわめて適切であった,よくやった,そういう気持ちを伝えなさい,と陛下から言われております』という電話を,首相官邸に入れた(岩見隆夫「陛下の御質問」)。昭和天皇は,首相の靖国神社公式参拝にも反対だった」

これが事実なら,これは明らかに「象徴天皇」の分際を逸脱しています。岩見隆夫氏は,論説委員,編集局次長を歴任して,現在は毎日新聞東京本社編集局顧問(政治担当)です。「陛下の御質問」を読んでいませんから,断定はできませんが,岩見氏と毎日新聞の憲法感覚を疑ってしまいます。
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by gakis-room | 2006-07-22 19:50 | つれづれに | Trackback(1) | Comments(6)