2017年 08月 15日 ( 1 )

2017年 08月 15日
8月15日の常套句への違和感
d0006690_17572549.jpgやはり「敗戦の日」は降伏文書に調印した9月2日だ思うのですが,それはともかくとして,8月15日に聞かされる2つの常套句があります。

①今日の平和と繁栄は戦没者の犠牲の上に築かれた
②国のために命を捧げた

奇しくもきょうの「全国戦没者追悼式」での安倍首相は挨拶で,この2つの常套句を口にしています。

【安倍首相の挨拶】
…いま、私たちが享受している①平和と繁栄は、②かけがえのない命をささげられた皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであります。私たちは、そのことを、ひとときも忘れることはありません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念をささげます。…

戦後の「平和と繁栄は戦没者の犠牲の上に築かれた」との謂いは,原因と結果,つまり「戦没者の犠牲」が「平和と繁栄を築いた」とでも謂っているかのようです。時系列としては「戦没者の犠牲」→「(戦後の)平和と繁栄」ですが,しかし,この2つは断絶しているように思われます。

降伏までのこの国の論理と戦後の論理とは明らかに断絶しています。つまり,「戦没者の犠牲の上に築かれた」のではなく,多数の戦没者(によってこの国の生産力は壊滅的打撃をうけた)にもかかわらず,戦後の国民の努力によって「平和と繁栄」が築かれたというべきかと思います。降伏以前と以後とが断絶しているからこそ,「日本を取り戻す」と金切り声をたてるのでしょう。

また,「国のために命を捧げた」とも言われますが,私は「国によって命を捧げることを強いられた」と言うへきではないかと思っています。ならばこそ,安倍首相が言うように「衷心より、敬意と感謝の念をささげる」だけでなく,何よりもまず「国家の責任者として戦没者に謝罪する」ことが第一義的なのではないでしょうか。

また,安倍首相は挨拶の冒頭で次のように言っています。

「先の大戦において、三百万余の方々が、祖国を想い、家族の行く末を案じながら、苛烈を極めた戦場に斃(たお)れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷の地で命を落とされました。いま、その御霊(みたま)の御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。

皮肉の1つでもいうなら,ここは「御霊(みたま)の御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます」ではなく,靖国神社に玉串料を奉納した安部首相ですから,「靖国神社に合祀された御霊を除く御霊の御前にあって」と言うべきかと思います。

なぜなら靖国神社に合祀された「御霊」はすでに「神」ですから,神に対して「御霊安かれ」とは。

別の挨拶がありました。

「ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対して、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」

これは天皇の「おことば」です。

※写真は戦艦ミズーリ号での降伏文書への署名,クリックすると拡大します
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by gakis-room | 2017-08-15 18:00 | つれづれに | Trackback | Comments(4)