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2009年 06月 04日
韓国を語る前に②   国家と民族の呼称について考える 4−2の2
2 国家としての呼称  その2
韓国を語る前に②   国家と民族の呼称について考える 4−2の2_d0006690_1735637.jpg  新聞はどうであっただろうか。「韓国」は国家の成立から「韓国」として記載されてきたが,「北鮮」は長く「北鮮」のままであった。

 毎日新聞では1959年6月21日の記事を最後に紙面から「北鮮」は消え,翌7月から「北朝鮮」と記載されるようになった(ただし縮刷版の目次。紙面としては8月から)。朝日新聞でもほぼ同じ頃ではないだろうか。

 おそらくは在日朝鮮人の「北朝鮮への帰還」(帰還事業)との関わりからではないだろうか。帰還事業の第一陣の出発は1959年12月14日であり,日朝両国の赤十字社の協定調印は同年8月13日であったから,調印にいたる経過の報道として,「北鮮」を修正する必要があったのであろう。あるいは同年の朝鮮総連の各方面への要望,つまり,「北鮮」・「北朝鮮」という表現は誤りであって,「朝鮮民主主義人民共和国」の正式名称をつかうべきであり,略称としては「朝鮮」が正しいとの要望の効果もあったかもしれない。

 しかし,ソウルはその後も長く「京城」のままであった。毎日新聞では1961年5月18日から,朝日新聞はそれよりも少し早く同年1月7日からソウル発の記事はそれまでの「京城」発から「ソウル(京城)」発という表記に代わった。同時に人名などの固有名詞には漢字の後に現地音をカタカナで括弧表記するようになった。単に「ソウル」となるのはかなり後のことである。

 とまれ,政府の外交方針として南北の分断国家うち,南の韓国だけを支持することは,ことの道理・非道理を別にすれば,政治選択としてありうるであろう。しかしそのことと,新聞報道が同じであってよいという論は成り立たない。ましてや社会の木鐸を自認する新聞である。だが,新聞の紙面で見る限り,新聞社の無思想性というよりは,新聞もまた「未処理の戦後処理問題」ないしは植民地支配の後遺症を長く引きづってきたといいえるのであろう。そしていまなお,「韓国・北朝鮮」の時代は続いている。

 いずれにせよ,分断された二つの国家の全体を指示する言葉を私たちは失ったままである。いわゆる「従軍慰安婦問題」等,未処理のまま放置された「戦後処理」は少なくないが,わたしたちにとって「韓国・北朝鮮」という呼称に代わる分断された二つの国家の全体を指示する言葉を回復するまでは,未処理の戦後処理という意味で,戦前の植民地支配の後遺症を引きずるのである。それははたして,日本と朝鮮民主主義人民共和国の国交の樹立によって,「朝鮮」が正規の国籍を指示するようになる以前に可能であるのだろうか。

 また,それだけでなく,マスコミや私たちの日常会話の中では「北朝鮮」に代わって「朝鮮」と呼称されるようになるのはいつの日であろうか。「北朝鮮」に代わって「朝鮮」と呼称されるようになったとしても,それでもなお,朝鮮半島全体を指示する言葉は失われたままである。第一,「朝鮮半島」という言い方ですら,韓国人にとっては北を支持する政治的言語であり,韓国人にとっては絶対に「韓半島」でなければならないのである。私たちが朝鮮半島全体を指示する言葉を持つまでは,なおしばらくは植民地支配の後遺症を自覚しつつ,私は韓国との対話を始めようと思うのである。
※写真はクリックすると拡大します。

by gakis-room | 2009-06-04 06:50 | 韓国を語る前に | Comments(6)
Commented by saheizi-inokori at 2009-06-04 07:49
>政府の外交方針として南北の分断国家うち,南の韓国だけを支持することは,ことの道理・非道理を別にすれば,政治選択としてありうるであろう。しかしそのことと,新聞報道が同じであってよいという論は成り立たない。

まったく同感です。最初からバイアスをかけていては客観的な議論になりません。
Commented by gakis-room at 2009-06-04 08:26
saheiziさん,
特に最近は薄っぺらい記事が多くなったように思います。特に裁判員制度のシュミレーション記事は目を覆うばかりです。
Commented by 高麗山 at 2009-06-04 10:57 x
懐かしい新聞です、確かに「25日発ロイター特約(6.25)」となっていますね。
地図上の朝鮮民主主義人民共和国が「朝鮮人民共和国」になっています、朝日新聞は将来の国の行方を既に察知していたのでしょうか?
Commented by gakis-room at 2009-06-04 18:34
高麗山さん,
「朝鮮人民共和国」は実在していました。1945年8月12日に,朝鮮総督から行政権引き渡しの提案を受けた呂運亨(ヨ・ウニョン)は15日,朝鮮建国準備委員会(建準)を結成します。全国に組織された建準支部は145を数えたと言います。17日には朝鮮総督府は建準に治安維持,報道に関する権限も委譲します。

9月6日に建準は全国人民代表大会を開催し,「朝鮮人民共和国」(主席・李承晩)成立を宣言しました。しかし,「朝鮮人民共和国」を認めないマッカーサーは7日に「朝鮮を当面米軍の軍政下におく」との布告を出します。

10月16日に帰国した李承晩は「人民共和国」主席就任を拒否,さらに12月12日には米軍は「人民共和国」を非合法化します。こうして,解放後の自主的国家「朝鮮人民共和国」は消滅しました。

地図はこのあたりと混同していたのかもしれません。
Commented at 2009-06-05 01:16 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by gakis-room at 2009-06-05 08:04
鍵コメさん,
呼称にこだわってしまったから,まあ仕方がないや,と思うのですが,歴史と文化への関心はこれからも続くと思います。


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