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2009年 03月 16日
−道徳的債務者との別れ− 9−6 ,韓国を語る前に①
6.「在日」と永住について 
 二つの事柄に注目したい。ひとつは在日韓国朝鮮人の減少である。正確に言えば,韓国・朝鮮籍を持つ者の減少である。在日韓国朝鮮人の出生数は1985年は4,838人であった。これは前年の9,363人に対して,4,525人の減少である。率にすれば,48.3%の減少である。このことは,韓国・朝鮮籍をもつ子が減少したということではない。減少の原因は,1985年1月1日から改正国籍法が施行されたからである。

 法の主要な改正点は,それまで日本同籍が取得できなかった,「父が外国人・母が日本人の子も自動的に日本国籍が取得できる」ようになった点である。この結果,日本人を母とする子のかなりが日本国籍となったと推測される。この年以降,韓国・朝鮮籍の子は毎年4-5干人代で推移している。
 
 「数字が語る在日韓国朝鮮人の歴史」(森田芳夫,明石書店)によれば,在日韓国朝鮮人同士の結婚は1974年以降50%をきり,1994年には,18.5%にまで減少している。逆に日本人との結婚は1976年には初めて50%を越え,1994年では全体の82%が日本人と結婚している。この年の在日韓国朝鮮籍の男性と日本人の女性との結婚は29%である。こうしたことが在日韓国朝鮮人(籍)の減少の主要な原因であると考えられる。なお,他に,日本人と同じように出生率そのものが減少していることも理由と考えてよい。

 おもしろいのは,「ひのえうま」の1966年,日本人の出生者は前年の75%に減少したが,在H韓国・朝鮮人の出生者も同率の減少があったことである。「ひのえうま」の迷信が在日韓国・朝鮮人にも浸透しているということであろうか。

 いまひとつは,在日韓国(籍)人団体である,大韓民国居留民団が1994年11月,その名称から「居留」をとり,「大韓民国民団」としたことである。これは,彼らが日本に一時的に滞在しているのではなく,日本に永住するという意思表示であると考えてよい。同時に,民団は名称の変更とともに,「定住外国人の地方参政権獲得」を組織の主要活動方針として掲げるようになった。これを受けて,民団の各地方組織は地方自治体および地方議会に要望書を提出し,その要望を中央政府に上申する運動を開始した。すでに前年1993年9月,岸和田市議会は「地方参政権」についての意見書を採択していた。

 「地方参政権」なり,いわゆる「公務員採用における国籍条項撤廃」について,法の理論において私には疑間がないわけではないが,しかし,重要なことは彼らの永住の意思表示である。民団も上記の二つの運動に関わる人たちも「韓国籍」保持を前提としているが,もし日本国籍を持つことになれば,「韓国系口本人」が誕生することになる。

もとより,1952年以降,「帰化」した韓国・朝鮮人はこれまでの累計で110万人近くいるわけであるから,あらためて「韓国系日本人」の誕生という言い方はおかしいといえばおかしい。しかし,「帰化」した110万人の韓国・朝鮮人のほとんどは日本的姓名を名乗っているから,私たち日本人の大部分は,「異民族の日本人」(アイヌ・沖縄を除く)を意識することなく,単一民族神話を依然として,覚け入れている。

 日木国籍を取得した外国人が本名のままで,例えば私たちの隣に朴然柱とかロペスとかツルネンとかチアリという名前の日本国籍を持ったものがおり,彼らが公務員であり,地方議員であるだけでな,国会議員である時,この国は「単一民族国家」の神話から解放され,この国の歴史と文化だけでなく,この国の将来をも相対化することをを容易にするのではないだろうか。その時,日本の国際化が実体的に始まるように思えるのである。

 私の考えでは,国の国際化とは,外に向かって国を開くことであり,この国を相対化することである。国際化とは多数の日本人が外国旅行をすることや「日の丸・君が代」に拘泥する偏狭なナショナリズム(国粋主義)とは無関係である。

 韓国の日刊紙「世界日報」の1998年8月26日(電子版)によれば,韓国政府法務部は「在外同胞の二重国籍を事実上許容」し,1999年7月1日から施行する準備にはいったという。韓国籍を保持したまま,日本国籍の取得が可能になるのである。しかし,日本の「帰化」制度は,日本への永住を考える韓国人が日本国籍を取得するにあたっての大きな障害となっているのである。

 民団中央本部権益擁護委員長の田駿は国籍取得のためではなく,地方参政権要求の中で日本の「帰化制度は表向きは国際的なものであるが,在日韓国人に対する場合,それはまさに人権を無視した内容なのである」と批判する(「自由」1995五年2月号)。具体的には帰化申請後の2年間の審査期間の中でなされる行政指導が「民族的な侮蔑」を強く感じさせるという。さらに,帰化によって「日本の戸籍に入ることは,在日韓国人の場合は過去の長い歴史の観点からしてこのことは素直に応じられないと主張する。ここでは明言されていないが,田駿が批判するのは,行政指導の形でなされるという「日本的姓名の強要」のことであろう。つまり,在日韓国・朝鮮人にとって日本国籍の取得のために,第二の創始改名が強要されるというのである。


【補注】
 「日本的姓の強要」については,1991年にソフトバンクの孫正義氏が孫正義のままで日本国籍を取得する経緯を知った時,私には複雑思いがあった。
 孫氏は国籍取得後の姓としての「孫」を役所に「『孫』という姓は日本にはない」と拒まれる。それで孫氏は妻(日本人)を夫の姓である「孫」に改姓させ,その戸籍謄本(?)をもって,日本人にも「孫」の姓があるとし,「孫」を認めさせたという。
 その後,2004年の参議院選挙にあたって民主党比例区の名簿に「白眞勲」(彼は2003年に日本国籍を取得した)の名前を見た時,私はこの国も少しだけであるが成熟したかなという思いをもった。

by gakis-room | 2009-03-16 10:00 | 韓国を語る前に | Comments(6)
Commented by 高麗山 at 2009-03-16 10:29 x
WBCアジア予選の対韓国1回戦の時、居酒屋で奇しくも済州出身の在日韓国籍の医師と同席した。
遠慮のない私は、「先生今日はどちらを応援しますか?」と明け透けな質問をした。
医師は、当然周辺を意識されて、「これからの、私を観察していて下さい」との意思表示でした。
結果は「国恥日」と翌日の韓国新聞に書かせるような、韓国の大敗であった。
医師は、充分に私を意識して、韓国チームの不甲斐なさをなじり、日本チームに盛んな賛辞を述べられたことに、不思議な酔いのまわりかたをした私でありました>
Commented by Mr.Yo-Yo at 2009-03-16 20:18 x
明後日にまた韓国と戦いますがどうなるか……。
Commented by convenientF at 2009-03-17 16:42
人類から愛国主義者をなくすまでは、平和な世界は来ないであろう。
バーナード・ショー 「語録」
Commented by gakis-room at 2009-03-17 19:56
高麗山さん,
その酒は甘かったのでしょうか,苦かったのでしょうか。それても両方だったのでしょうか。
Commented by gakis-room at 2009-03-17 19:58
Mr.Yo-Yoさん,
どんな試合になるのでしょうか。「日の丸を背負って」と言うことに格段の思いは私にはありませんから,好試合を楽しめればいいと思っています。
Commented by gakis-room at 2009-03-17 23:08
CFさん,
最近は単なる「自己偏愛史観」にすぎないものを「救国の思想」であるかのように喚く人も多くなってきました。



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