2008年 09月 18日
9月18日,1931年
77年前のきよう,満州事変が起こりました。午後10時20分頃のことです。中国遼寧省の奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖(りゅうじょうこ)で,南満州鉄道の線路が「中国軍によって爆破された」とされました。

爆破と言っても被害は「線路と枕木の一部で,上下線を合わせてもわずか1mたらずの軽微なもの」でした。そして,この事件は,中国軍によるものではなく,関東軍参謀,板垣征四郎大佐と石原莞爾中佐がが仕組んだものでした。

しかし,これを中国軍の仕業とし,約100人の関東軍が近くの中国軍「北大営」へ突入し占拠し,さらには満州のいくつかの市を占領します。政府は翌19日閣議で,「事態をこれ以上拡大しない方針」を決めますが,しかし,21日,林銑十郎中将の率いる朝鮮駐屯軍が,独断で越境し満洲に侵攻し,満州全体の制圧をはかりました。

この事件を契機として,翌年には清朝最後の皇帝で,辛亥革命と中華民国の成立(1912年)によって廃位された溥儀を担ぎ出して「満州国」をでっち上げます。

私は8月15日に「先の大戦」について,「1937年7月7日の盧溝橋事件(日中戦争)からと考えるのが良いように思われます」と書きましたが,これは全面的な「日中戦争」のことであって,戦争は1931年のきょうから本格化したと考えています。

なお,独断で朝鮮駐屯軍を満州に動かした林銑十郎中将は,「天皇の勅裁を受けていない軍の移動は死刑もあり得る重罪(統帥権の侵犯)」にも拘わらず,罷免されることもなく,翌年の1932年には大将に昇進,さらには1934年には陸軍大臣(1935年まで),1937年には総理大臣を務めています。つまりは主権者,昭和天皇によって満州事変は積極的に(?)追認されました。
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by gakis-room | 2008-09-18 18:00 | つれづれに | Comments(2)
Commented by saheizi-inokori at 2008-09-20 10:45
理屈は後からついてくる。
今の福田などの方が小粒だけに罪は軽い?
Commented by gakis-room at 2008-09-20 14:54
saheiziさん,
なんといっても武力侵略はしていませんからねえ。


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