2008年 08月 15日
「先の大戦」とその反省
「先の大戦」を深く反省するとは何を反省するということでしょうか。福田首相はきょうの戦没者追悼式の式辞で「先の大戦では300万余の方々が戦場で,あるいは銃後の地において,そして戦後,遠い異境の地において…亡くなっていかれたこと」と「多くの国々,とりわけアジアの諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」ことに反省と追悼の意を表する述べました。

結果として国民を死に追いやり,他国民に犠牲と苦痛を強いたことは事実ですから,真摯に反省することは道理に照らして当然のことですが,そのような結果をもたらした原因はなぜ批判されないのでしょうか。

「米英両国に対する宣戦の大詔」の趣旨は(私流に要約すれば)以下のようです。

…蒋介石の重慶政府が東亜の平和を攪乱して4年余となる。米英はその重慶政府を支援して東亜の禍乱を助長し,東洋制覇をたくらんでいる。さらには経済上軍事上の脅威を増大させて我が国を屈服させようしているので,やむを得ず,東亜の永遠の平和の確立安定と日本の自存自衛のために米英に宣戦する。

つまりは「宣戦の大詔」は虚偽と独りよがりの理屈を戦争理由としています。虚偽と独りよがりの理屈によって死を強いられた者を「国のために殉じた」とするのは二重の虚偽です。私には死者への冒涜のように思われます。虚偽と独りよがりの理屈によって国民を死に追いやることはしまい,他国を蹂躙することはしまいという誓いが日本国憲法の前文ではなかったでしょうか。

イラク戦争も「イラクの保有する大量破壊兵器が平和の脅威になっている」というアメリカの虚偽と独りよがりら始まったように私には思われます。

ところで,「先の大戦」とはいつから始まった戦争のことでしょうか。
「宣戦の大詔」は1941年12月8日付で出されていますが,その内容から言えば1937年7月7日の盧溝橋事件(日中戦争)からと考えるのが良いように思われます。事実,1941年12月12日の閣議決定では「支那事変(1937年7月7日からの日中戦争のこと)を含めて大東亜戦争と呼称す」としています。

「先の大戦」についてはそれでいいのでしょうが,この国が戦争ないしは軍事力によって国の発展を考えたのは遙か以前からのように思われます。
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by gakis-room | 2008-08-15 17:41 | つれづれに | Trackback(3) | Comments(12)
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Commented by convenientF at 2008-08-16 11:42
>その内容から言えば1937年7月7日の盧溝橋事件(日中戦争)からと考えるのが良いように思われます。

それが一番妥当だと思います。

>この国が戦争ないしは軍事力によって国の発展を考えたのは遙か以前からのように思われます。

私の父は明治維新から始まっており、日清戦争が口火だった、と私に教えました。しかし、晩年、この「維新起点論」は父の父、つまり私の祖父が言い出した説だったと告白しました。

この祖父は明治政府の高官だったのですが、柳橋の芸者と北海道へ駆け落ちした男です。裏で政治的な何かがあったどうかは知りません。

覚えているのは、元芸者の祖母が西洋音楽も三味線で弾いて聞かせてくれたことぐらいです。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-16 12:36
戦争を反省するというときにどういう立場でどのような意味で反省するか、が問われるわけですね。
同時代に生きる、しかも国の指導者として。
Commented by antsuan at 2008-08-16 14:24
トラックバックさせて頂きました。

こんなにいっぱい嘘をつくなら、もう追悼式典など止めたほうがよかろう。と言ったほうがいいと思います。血圧を上げるだけ無駄と云うものでしょう。60年を過ぎて連合国側の悪行が白日の下に晒されたいま、戦争責任を我が国だけ負うような反省式典はなんらこれからの平和につながらないと考えます。

富国強兵を否定するのは、開国して欧米の帝国主義を真似たのですから、行き過ぎのように思います。

「先の大戦」の定義については、戦争責任を問うた東京裁判のパル判事は、欧米が先にアジアに侵略していたのであり、日支事変においても米国は軍事支援をしていたことを照らし合わせて、「先の大戦」を満洲事変や日支事変まで含めるのならば、明らかに戦争責任は連合国側にあると断言しています。その上で、「先の大戦」というのは12月8日からとしなければ、東京裁判は成り立たないと述べています。
Commented by gakis-room at 2008-08-16 14:40
CFさん,
台湾出兵を除けば,大義名分のない軍事力の行使は江華島事件からだと思っています(琉球処分については今の私には不明です)。
ところで,CFさんはお祖父様とお祖母様の血を確実に受け継がれているように見受けられました。「内気で外股」の私としてはうらやましい限りです(笑)。
Commented by gakis-room at 2008-08-16 14:48
saheiziさん,
言葉の定義を曖昧にしたままに,というのがこの国のならいなのでしょうか。
例の村山談話にしても「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」といいますが,どの内閣がどのように誤ったかは曖昧なままです。
Commented by 高麗山 at 2008-08-16 14:51 x
失礼ですが、今先輩のご葬儀から返って来た所です。
当然、昭和一桁産まれの方です。友人代表の弔辞も触れる内容は殆ど戦中戦後の食糧難と苦難の学業生活、就中、飛行場造成の勤労奉仕が大半でした。
只、昭和一桁産まれの方が詠まれる弔辞の年月日が全て、西暦であったことに、些かの戸惑いと、驚きを感じた私でありました!
Commented by gakis-room at 2008-08-16 15:10
antsuanさん,
初めまして。といっても「梟通信」では何度もお目にかかっています。

「俺だけじゃあない,みんなもやっていた。なのに,どうして俺だけが…」というのは悪ガキの言い逃れにも似て,ちょっと賛同しかねます。

「先の大戦」は天皇,政府の常套語です。それで,「あんたの言う『先の大戦』ってなあに?」と聞いてみたくなりました。日本の論理から言えば,「支那事変」からじゃあないの,それを曖昧にしてはダメだよと言いたかったのです。でもそうすると「歴史認識」がまた問われてしまいます。じゃあ,満州事変は?って。

パル判事は戦争犯罪と戦争責任を峻別していたように思います。
Commented by gakis-room at 2008-08-16 15:19
高麗山さん,
奈良県天理市の飛行場造成については,その跡を見に行ったことがあります。

>昭和一桁産まれの方が詠まれる弔辞の年月日が全て、西暦であった
確かに。私は西暦しか使いませんから,元号で話されると換算するのに時間がかかってしまいます。
Commented by convenientF at 2008-08-17 12:41
>江華島事件からだと

1875年ですね。祖父が生まれる前です。
私も「日本が外国に攻め入った事件としては秀吉の朝鮮以来」と父から教わりました。
私は支那事変のちょっと前の生まれであり、身辺の出来事の記憶から支那事変が「大東亜戦争」のはじまりだと、生理的に感じています。「12月8日」よりずっと前から「出征→傷病兵あるいは遺骨遺品の帰還」を毎日のように目にしていたからです。

>昭和一桁産まれの方が詠まれる弔辞の年月日が全て、西暦であった

私も西暦です。時間も12時間式.
軍国日本への反感からでしょうか。多分そうでしょう。

現に会合の案内状などで日時が「元号+24時間表記」になっているとそれだけでムカっとして「欠席」(苦笑)。
Commented by gakis-room at 2008-08-17 17:08
CFさん,
「満蒙が生命線」なんて手前勝手な理屈,では日韓併合は? 曖昧さはどんどんさかのぼっていき,すますま苦しくなってきます。

案内状についてはその昔はいちいち元号に訂正していましたが,いつの間にか面倒くさくなって,今はそのままにしています。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-21 22:07
すみません。勝手にリンクさせていただきました。
Commented by gakis-room at 2008-08-22 08:09
saheiziさん,
どうぞ,どうぞ。ご丁寧なコメントに恐縮しています。


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