2008年 05月 08日
これほどのニュースがなぜ話題にならないのか不思議です
下世話に言えば,事件は,雇った用心棒の剥き出しの暴力性が1審で有罪となり,判決の翌日,用心棒の代理人は,雇い主グループNO2に次の裁判の進め方を指図し,さらにはこの代理人,次の裁判の裁判長裁判官と密会し,裁判の日程の見通しを聞いたというものです。

そして,用心棒とは在日米軍,用心棒の代理人は駐日アメリカ大使,雇い主グループのNO2が外務大臣,ここまではまあ,あり得る話しょうが,駐日大使と密会したのが時の最高裁長官となれば,これは驚きのニュースです。

毎日新聞の4月30日(東京朝刊)の記事です。私は朝日新聞と産経新聞を定期購読していますが,このニュースをを知ったのは昨日でした。ひょっとしたら,毎日新聞の記事以降,テレビを含めてメディアで取り上げられたかもしれません。しかし,私はそれを知りません。

毎日新聞の記事は,国際問題研究者の新原昭治氏(76)が,日本と米国の交渉記録などを公文書館で閲覧していて発見した駐日アメリカ大使の報告書・電報を基に,1959年3月30日,「在日米軍の存在は憲法9条違反」とした東京地裁判決後のアメリカのあからさまな,日本政府への指示,そして最高裁長官との密会を伝えています。以下,記事を踏まえてその前後を時系列で整理してみます。

1957年7月8日
 砂川事件。東京都砂川町(現・立川市)の米軍立川基地で,基地拡張に伴う測量に反対するデモ隊の一部が基地内に立ち入り,7人が日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反で起訴される。

1958年9月11日
 藤山愛一郎外相がワシントンでダレス米国務長官と会談,日米安全保障条約改定を提案。

1958年10月4日
 藤山外相とマッカーサー駐日大使のあいだで安保改定の第1回日米会談

1959年3月30日
 砂川事件に全員無罪の地裁判決。東京地裁は,「日米安全保障条約に基づく,在日米軍の存在は戦力の保持を禁じた憲法9条に違反,従って,在日米軍を保護するために,軽犯罪法よりも重い刑罰を科している刑事特別法は無効であり,全員を無罪とする」とした(伊達判決)。

1959年3月31日
 駐日米大使は,同日の閣議(岸信介首相)の1時間前に,藤山愛一郎外相を訪ね,日本政府に最高裁への跳躍上告を勧める。藤山外相はこれに全面的に同意し,閣議での承認を勧めることを了解すると発言

1959年4月下旬(?)
 4月24日に駐日米大使から国務長官にあてた電報。「内密の話し合いで担当裁判長の田中(最高裁長官)は大使に,本件には優先権が与えられているが,日本の手続きでは審議が始まったあと、決定に到達するまでに少なくとも数カ月かかると語った」

1959年11月27日
 全学連を中心とするデモ隊は国会周辺に配置されていた警官隊の制止を破って,2度に渡って国会構内になだれこんだ。約2万人が1時間余りにわたって構内正面玄関に座りこむ。警官・デモ隊双方で300人を越す負傷者。

1959年12月16日
 最高裁大法廷は「(日米安全保障条約という)国家統治の基本にかかわる高度な政治的な問題は司法審査にはなじまない(統治行為論)」として1審を破棄。

1960年1月15日
安保条約調印のために渡米する岸首相を阻止しようと,全学連約500名が羽田空港ロビーに座りみ,警官隊と衝突。唐牛全学連委員長他76名が逮捕される。

これ以後,6月15日の樺美智子さんの死,20日の自然承認を含めて,いわゆる「60年安保」として記録されることになりました。当時,中学3年生であった私の記憶では「安保反対派」のスローガンは「安保反対 岸を倒せ」でした。

しかし,「60年安保」はその前年に,内閣と最高裁長官によって「日本の国家主権」が放棄されたことが何よりも「記録」されるべきであるように思います。
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by gakis-room | 2008-05-08 06:38 | つれづれに | Comments(8)
Commented by saheizi-inokori at 2008-05-08 07:11
今振り返ると日米講和そのものが自治州として認めるようなものだったのかも知れない。
Commented by gakis-room at 2008-05-08 07:56
saheiziさん,
日本は諸外国からは「アメリカのボチ」と見られているかもしれない,ということを忘れないほうがいいのかもしれません,少なくとも近年は。
Commented by convenientF at 2008-05-08 08:24
当時、私は社会人2年生。

中学高校時代の友人が何人か捕まりました。
釈放後、居酒屋で酒を飲みながら話し合いましたが皆すっきりした表情でした。
等するに、曖昧だったことが明確になったからでしょう。
その結果か、オトナになったからか、彼等は「反ベトナム戦争」の運動は冷笑していました。

昨今、勇ましいことを言っている「現役世代」に知らせたい史実ですが、彼等はこのブログを見に来ているのでしょうか。

私はいまだに自治州の住民であると自認しています。
だから輸入税は全部免除されるべきであろうと(^^;)。
Commented by 高麗山 at 2008-05-08 10:15 x
上記以後の、佐藤内閣時にも“ 核の持込及び日本国内通過 ”の密約が、米側の書簡で判明しているのに、未だに日本国政府は認めていません!
Commented by gakis-room at 2008-05-08 19:21
CFさん,
「60年安保」からはもうすぐ半世紀が過ぎようとしています。「60年安保」という言葉すら,大半の人たちは知らないのだと思います。

>彼等はこのブログを見に来ているのでしょうか
さあ,どんな方々が,私のブログをみているのでしょうか。永遠に不明ですねえ。
Commented by gakis-room at 2008-05-08 19:23
高麗山さん,
佐藤内閣には「沖縄密約」もありました。これは毎日新聞記者「西山事件」として矮小化されてしまいました。
Commented by YUKI-arch at 2008-05-08 20:59 x
公文書館で公開するところが、
米国のすごみです。
われわれはそれをとおして
自分の国が植民地であることを知るわけですが・・・・。
Commented by gakis-room at 2008-05-08 22:05
YUKIさん,
アメリカ民主主義,と言うよりもアメリカンデモクラシーは半端じゃないと思います。何せ,アメリカが仕掛けたベトナム戦争時に,「ベトナム反戦運動」がもっとも盛んで過激だつたのはアメリカでしたから。


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