2008年 01月 08日
谷中霊園の徳川慶喜の墓
d0006690_1931285.jpg「谷中霊園」に関心があったわけではありません。「朝倉文夫彫塑館」に行く途中,「徳川慶喜の墓」の案内があったので,帰りにそこへ行ったら,そこが「谷中霊園」であったというだけのことです。

おもしろかったのは,高橋お伝,鳩山一郎,横山大観,長谷川一夫,柏戸ら,有名人の墓が多かったこと,様々な意匠がこらされた墓石が少なくなかったことでした。一度,ゆっくりと見てみたいとも思いました。

d0006690_19314487.jpg徳川慶喜の墓は広大な「徳川家墓地」の一角にありました。正面に慶喜,右に正室の美賀子,左に「徳川家の墓」がありました。墓標には「従一位勲一等徳川慶喜之墓」書かれています。

彼の墓が他の将軍に比べてどうなのかは私には不明ですが,徳川家の墓所である寛永寺,増上寺ではなく,寛永寺の飛び地の谷中にあるということは,維新政府への気兼ねだったとされています。

彼は大政奉還の後に,鳥羽伏見の戦いに敗れ,兵を置き去りにして大阪城から江戸へ軍艦で逃げ帰り,寛永寺で謹慎し,やがて許されて公爵の爵位をうけたこと,腕前は大したことがなかったようてすが,カメラに熱中したこと,サイクリングを好み,また,日本で3番目の自動車購入者であったことは知っていました。

彼の墓を見ながら,ふと思いました。京都,大坂に置き去りにした兵,あるいは将軍家・幕藩体制に殉じた会津,長岡藩に代表される諸藩をどのように考えていたのだろうか,と。こんなことを思ったのは,最高責任者として最悪の形でトンズラをしてもなお「一議員として活動を続ける」と言って恥じない安倍前首相と重なったからでした。
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by gakis-room | 2008-01-08 19:34 | つれづれに | Comments(8)
Commented by 高麗山 at 2008-01-08 22:59 x
慶喜と安倍前首相の相違は、方や”民主教育”を受けたにも係わらず、幕末の為政者と同様か、それ以上の失政を演じたに過ぎません。
前首相の提案実践した教育改革を、元へ戻せないものでしょうか!
Commented by YUKI-arch at 2008-01-09 08:32 x
谷中にはいろいろあって
興味が尽きませんね。
来月の街歩きのリストに
入れて、ぜひとも「探訪」したいものです。
Commented by gakis-room at 2008-01-09 10:48
高麗山さん,
>前首相の提案実践した教育改革を、元へ戻せないものでしょうか
無理なように思われます。残念ながら「教育再生会議」か゜事実上頓挫しただけでも「良し」としなければならないようです。
Commented by gakis-room at 2008-01-09 11:01
YUKIさん,
時間の関係で行けませんでしたが,「大名時計博物館」とか「下町風俗資料館」などもあるようです。もう一度行ってもいいな,と思っています。
Commented by saheizi-inokori at 2008-01-09 13:50
谷中、今日当たり行くつもりでした。
銭湯もありますよ。
Commented by asuno-kazemachi at 2008-01-09 14:40
銭湯だった建物をギャラリーにしたのもあります。
それから味わいのある喫茶店も。
同じ道をたどっても、褪せない魅力があります。
Commented by gakis-room at 2008-01-09 15:11
saheiziさん,
奈良の私が言うのもおかしな話ですが,いいところです。そして,きょうの奈良の午後2時の気温は12.4度,快晴です。東京はどうでしょうか。
Commented by gakis-room at 2008-01-09 15:13
asuno-kazemachiさん,
ありがとうございます。今度は地図をもって行ってみることにします。とはいえ,東京ですから,いつのことになるのやら(笑い)。


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