2007年 11月 14日
乾清宮は朝鮮王朝の正宮である景福宮の奥の院のことです。ここは朝鮮王朝第26代国王高宗(コジョン)と王妃である閔妃(ミンピ)が暮らしたところです。 同時に,1895年(明治28年)に,当時の駐朝鮮日本公使(当時は大使職はなし)三浦梧楼の指揮のもとに王妃・閔妃を殺害し,焼却した場所でもあります。 乾清宮は日本統治下では取り壊され,戦後,現場には殺害模様を描いた2葉の絵と韓国の初代大統領李承晩が韓国青年に与えた檄文の石碑だけがありました。 私は2度ほど現場を訪れたことがありますが,3年前からは乾清宮の復元工事がすすめられ,現場は立ち入り禁止になっていました。このほど復元工事も終わり,先月の18日から一般公開されました。 閔妃殺害をたとえて言えば,ある国の駐日大使の指揮下の一団が皇居に侵入し,皇后を殺害するといった事件です。日本の近代史の最大の汚点の1つです。 次にソウルに行く機会があれば,真っ先に行ってみたいと思っています。
by gakis-room
| 2007-11-14 21:51
| 韓国あれこれ
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Comments(4)
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saheizi-inokori at 2007-11-15 07:38
私も行ってみたいです。もう一度史実も勉強して。角田房子の小説は読んだのですが。
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gakis-room at 2007-11-15 08:45
saheiziさん,
「明成皇后弑虐現場」がどうなっているのか,あの2葉の絵と李承晩の石碑がどうなっているのか,見たいという思いが募ります。
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高麗山
at 2007-11-15 10:04
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景福宮右奥で工事中でしたですね。 完成したのですね。
不思議なことに、景福宮へ行ったときは普段履きなれない新品の靴か、歩きすぎて疲れ気味なのかで脚に何らかの支障がある時が多く、最奥部まで行くことは少なかったのですが、前回は工事現場まで行っていました。 一度ご一緒して、正確な案内説明を受けたという思う、今日この頃です。
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gakis-room at 2007-11-15 19:18
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