2007年 10月 12日
「遠い日の風景」と「未来の風景」
私が草花にのめり込んだのは今年の4月の中旬です。以来,目にした野草で名前のわかったものをブログにあげてきました。そして,こんな感想もいただきました。
  「本当になにも知らなかったのですね」
  「都会育ちだったのですね」

私が育ったのは名古屋市港区。そこは100軒近い住宅地でした。とはいえ,住宅地の三方は田園と言うよりも水田がずっと広がっていました。住宅地を抜けて学校までは。子供の足で20〜30分はあったでしょうか,水田を分ける幅20m位の川の土手を,小中学校の9年間,歩いて通いました。土手の道幅は2メートルもなかったように思います。

滅多にないことでしたが,農耕用の牛とすれ違う時は,大きな恐怖でした。川には,「四つ手」と呼んでいた網を仕掛ける足場がいくつかありました。公園のボート程度の木船も繋がれていました。田植え,稲刈りを9年間見てきました。

登校時はいつも集団登校でしたが,下校時はフリーです。子供の楽しみの1つに,水田の中のあぜ道を帰る事がありました。今では見ることもほとんどなくなった一面のレンゲやイナゴ,バッタ,メダカは懐かしい記憶です。

こんなことを思い出したのは,先日「今森光彦写真展」を見たからです。私は知らなかったのですが,今森光彦氏は琵琶湖畔を拠点に,「里山」に生きる動植物たちと,そこに生きる人々とのかかわりを撮り続けてきた,高い評価を得ている写真家です。「里山 未来におくる美しい自然」を主題にした写真展の美しさに惹かれました。私は遠い日の風景を思い起こしました。

しかし,なぜ,今森光彦氏はそれを「失われていく風景」ではなく,「未来におくる美しい自然」としたのでしょうか。今森氏は言います。

「日本人にとって,自然というものは観覧席から眺める質のものではなく,一心同体となってはじめて血液が流れだす生命体そのものである」
「里山をながめると,ほとんどの人は『なつかしい』といいます。でも,ぼくの目にはそれが,『未来の風景』に見えてなりません。里山の風景は,むしろこれからぼくたちが積極的につくっていく,再生していくべき風景だと思っています」

私には,前段は理解できますが,どうしても後段につながりません。やはり,「懐かしさ」に留まってしまいます。このことに,写真展を見た9日からきょうまで,なお,引きずられています。
(京都・大丸ミュージアム,15日まで)
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by gakis-room | 2007-10-12 07:10 | つれづれに | Comments(10)
Commented by saheizi-inokori at 2007-10-12 07:36
奇しくも夕べ一茶についての話を聞きました。
彼はフランスでは芭蕉や子規よりずっと人気があるのですが、それは自然との一体感を歌ったことも影響している。
フランス人の田舎志向と一茶の田舎っぽさ(彼は百姓なるが故に江戸俳壇で受け入れられなかった側面もある)がマッチしているなどと。
50代以降、一茶は劇的に変身して小動物や自然と同じ視線をもった一茶の世界をつくっていく。
この記事を読んで昨日の話しが蘇りました。
Commented by gakis-room at 2007-10-12 08:36
saheiziさん,この写真の一枚一枚にとても惹かれました。しかし,そこに美しさを感じても,どうしても「懐かしさ」の域から出られませんでした。是非はともかくも,「ああ,私は人間的情念の世界にどっぷりつかっているな」と思ってしまいます。
Commented by maron415 at 2007-10-12 19:50
田舎に住んでても、興味がなかったらただの雑草にしか見えないと思います。
私は、毎年見てて、気がついていなかったもの(笑)
この風景を残すべきなのかは、考えてしまいます。この田で稲を植えるのはとっても労力いるだろうなあと…
(平地にあるのしか身近にないものでね。)
こちらでは、みかん畑が荒れていっています。(高齢で、もうできないということでね…)
Commented by gakis-room at 2007-10-12 23:43
maron415さん,私はこんな風に考えてきました。この社会で,「生活する=貨幣支出によって価値(財貨,サービス)を所有する」ことだから,「豊かな生活をする=より多くの貨幣支出によって寄り多くの価値を所有する」ことだと思っています。
であれば,1つの自然を残すために1人の人間に貧困と労苦を強いることになれば,それは罪悪ではないかとも思います。貧困と労苦を強いることになる棚田がなぜ「未来の風景」なのか,私はここで躓いてしまいます。この躓きの先には私は行くことができないなとも思います。躓きの先に行きたくはない,というのが私が現在の立っているところです。
Commented by saheizi-inokori at 2007-10-13 11:04
一茶も50歳までは訴訟だの喧嘩だのドロドロした人間関係に足をとられていたようです。
一茶を見るなら50以降を見てくれと話をしたフランス人が言ってました。
私たちは(たち?)いつまでも人間関係の罠から抜けられないから一茶の自然や小動物と一体化した世界が懐かしく感じられるのかも知れません。芭蕉は強いから。
ところで本題は段々畑そのものを残すと言うことの是非でしょうか。
それはもうあり得ない、あるとしたら土地所有者が自らの米を作るためなのでしょう。
都市と田園を問わず景観も経済の仕組みの反映だとするとどんな美観にもそれなりの収奪の痕跡は残されているのでしょうね。
問題は棚田がなくなり里山が荒廃し(順番は逆でしょうが)高速道路が出来、または放置された景観の中に犠牲は発生していないかというと、棚田を営む人たちより一層厳しい収奪が存在しているということではないでしょうか。
かといって元に戻ることはあり得ない。
そんなこんなでますます懐かしさは喪失感になって迫ってきます。
Commented by gakis-room at 2007-10-13 20:24
saheiziさん、「警官を懐かしむ」とは少し違いますが、「自然との関わりを回復する」というのもあります。私たちが喪失してきたものを取り戻すということでしょうか。しかし、それも生活の中での「非日常」でしかありません。「非日常」を「非日常」と限定しないで、そこに積極的な意味合いを付けようとするとき、あるいは、それを絶対視ないしは神聖化するとき、ある種の落とし穴があるように思われます。
「暇があったから、パンをつくってみた」は「日常」です。しかし、「手作りパンでなければならない」は「非日常」の神聖化だと思っています。




Commented by ume at 2007-10-13 20:58 x
裏山を10分も歩けば写真にあるような景色を見ることができます。私にとっては「懐かしい景色」ではなく「見慣れた景色」と言うことになります。米の需要が減ったため、経済原則に則り今年度の米価は昨年対比で約12㌫下がりました。ここ数年の値下がりですでに稲作は採算割れしている中での米価引き下げです。農家は今「惰性」で米を作っていると言って良いでしょう。「合わないなら、やめればいい「」しかり」です。「やめる」にしても、エネルギーが必要です。農家にはもうそんなエネルギーは残っていません。今更農政の無策ぶりを嘆いてみても詮無いことです。「新潟日報」や「日本農業新聞」以外のメディアでは、農業の末期症状を取り上げることもなくなりました。
Commented by gakis-room at 2007-10-13 21:32
umeさん、哀しいことですねえ。民主党の「農家の所得保証」政策(?)をバラマキと批判するのは簡単です。「洋上無料ガソリンスタンド」を含めて、バラマキの「国際貢献」とやらには熱心ですのにねえ。
Commented by 高麗山 at 2007-10-13 22:11 x
昨日から、一日中このテーマを考ええ居ました。
芸術的な面から見る「田舎」とりわけ「里山」の情景、絵画にしろ、写真にしろ大変趣のある題材になります。(熟れた柿に、稲刈り後の稲架風景)
里山は人手が入らなくなると、ただ単なる荒廃した葛藤の山野と化します。
人手が差し伸べられることよってはじめて、栗、マツタケ、アケビにむかごが我々の手になると思います。
『今森光彦』氏がどのような方かは存じませんが、芸術家として単なる、里山の回帰(人が帰った田舎)を望んでおられるのではないでしょうか?
農業の手伝い経験があるものとして、棚田での作業がどれくらい過酷なものであるかは、創造に難くありません。 しかし、田植え前の代掻きをした、千枚田に水が張られた情景は一幅の癒しの瞬間でもあるかも分かりません(単なる、三者のおもいかな?)。
Commented by gakis-room at 2007-10-14 20:10
高麗山さん,私が「超えられなかった」ことが私だけでなくて安心しました。


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