2007年 06月 26日
「戦後レジーム」の遠景・きょうは国連憲章の調印の日
1945年6月26日,この日,サンフランシスコに50カ国の代表が集まり,国連憲章に調印しました。国連の正式な発足は51カ国による10月24日です。

すでに,アメリカ大統領ルーズベルトは,日米開戦前の1941年8月14日に発表された「大西洋憲章」で将来の国際組織について述べています。そして,1944年8月21日〜10月7日にかけての米・英・中・ソによる「ダンバートン・オークス」会議で,国連憲章草案を決定し,連合国の各国にそれを送付します。

ドイツが降伏する7カ月前,日本が降伏する10カ月前のことです。戦後の国際経済の基調となった国際通貨基金(IMF),世界銀行(IBRD)はこの年の7月にすでに発足しています。

1945年2月,ルーズベルトはイギリスのチャーチルおよび、ソ連のスターリンとヤルタで会談し,安全保障理事会で用いられる投票の制度について合意し,また,サンフランシスコで国際会議を開くことも決定しました。

1945年4月25日,国連憲章を決定することになるサンフランシスコ会議(6月26日まで)は50カ国の代表を集めて開催されました。私が驚かされるのは,この会議の数字的記録です。

  50カ国の正式代表者   282名
  随員         1444名
  事務局        1058名
  報道記者       2636名
  軍人補佐官       225名
   合計        5645名

さらに,補助員として
  ボーイスカウト    2250名
  医師・看護士      400名
  電信・電話担当     188名
    合計       2840名 

1945年4月25日と言えば,すでにドイツの降伏(5月8日)は時間の問題で,日本の敗北も決定的でした。そして,これだけの会議を構想したルーズベルトはサンフランシスコ会議の2週間前に急死します。もとより,ルーズベルト1人の功績ではないことは言うまでもありません。しかし,こうした会議を1つの背景とした「戦後レジーム」は彼抜きには考えられないのも事実のように思われます。

さらに,蛇足をすれば,会議の63日間につくられた文書は,1日平均50万ページ,最大170万ページに達したと言うことです。会議の準備と運営の過程を想像するだけで目が眩んでしまいます。
[PR]

by gakis-room | 2007-06-26 18:53 | つれづれに | Comments(4)
Commented by saheizi-inokori at 2007-06-26 22:47
世界がその規模で動いている、と実感できる数字ですね。
Commented by 高麗山 at 2007-06-26 22:52 x
昨日の6.25(ユギオ戦)開戦日を、韓国の青少年の三分の一は認識していないと言う報道をしていましたが。
勃発から57年も経過すればそんなものなのですね!
私でも、サンフランシスコでの講和条約は記憶していても、国連憲章の調印日までは、全く知りませんでした。
Commented by gakis-room at 2007-06-27 10:41
saheiziさん,このあたりにルーズベルトの政治哲学の広さと奥行きを感じます。レーニン,ケマル・アタチュルクとともに20世紀最大の政治家と思う所以です。
Commented by gakis-room at 2007-06-27 10:46
高麗山さん,朝鮮戦争(ユギオ)について,最近おもしろいことを知りました。トルーマンが米軍に出動命令を発したのは,国連安保理が「武力で北朝鮮を排除せよ」との勧告を決議する7時間前のことでした。この段階では米国の単独武力行使です。現在のイラク戦争も米国の単独派兵から始まりましたが…。


<< こんな花も咲いていました・トキワハゼ      何とも物騒な名前・ヤブガラシ >>