2006年 12月 15日
少し古いニュースですが,11日の朝鮮日報よれば,韓国の前大統領府首席報道官が9日に行われた「東学農民革命112周年記念遺族の夜」行事に参加し,先祖に代わり遺族に謝罪した,と伝えています。記事では,趙己淑前大統領府首席報道官 が遺族に土下座している写真まで添えられていました。 記事のいう東学農民革命とは,1894年におきた農民の大規模反乱のことで,日本の歴史教科書では古くは「東学党の乱」と記述されていましたが,近年では「甲午農民戦争」とされています。 この農民反乱は,当時,キリスト教(西学)に批判的な民族宗教であった東学(後の天道教)の幹部に指導され,朝鮮半島南部を制圧する勢いを持つに至ります。この反乱に恐怖を感じた朝鮮王朝政府は清国に鎮圧のための派兵を要請します。清国は派兵にあたって,天津条約に従って派兵を日本に通告しました。 通告を受けた日本は,清国に対抗するために朝鮮半島に出兵します。農民軍はこれをみて急遽,王朝政府と和解しますが,日清両国の対立は交戦状態にはいり,日清戦争へと拡大し,後の日本による植民地支配の第一歩になります。 農民反乱のきっかけは,当時の古阜郡郡守だった趙秉甲(チョ・ビョンガプ)による農民への苛斂誅求によるものだとされています。この朝鮮王朝時代の代表的な汚職官吏として知られる趙秉甲の曾孫にあたるのが,前大統領府主席報道官であった趙己淑氏です。 政治学者でもある趙己淑氏は,10月,彼女の祖祖父が趙秉甲氏であったことが月刊誌で明らかにされると,それを認めた上で,「先祖について隠し事はない。すでに学会では曽祖父の歴史的事実が誤りの可能性があるという論文が発表されている」とコメントし,さらに「歴史的事件はある個人により起こるものではない」と主張していました。 それが,一転して今回の謝罪になりました。朝鮮日報によると趙己淑氏は,東学農民革命軍遺族や市民団体など300人以上の前で祖祖父について謝罪して,「東学農民革命軍の霊と遺族の痛みを慰めるため,最近は毎朝108回の敬礼を捧げている。皆さんの恨みが解けるまで敬礼を続けるつもり」と述べたとしています。 112年前の祖祖父の行為への謝罪。私にはなんとも理解しがたいものですが,しかし,これが韓国における歴史認識のひとつの典型かもしれないと思いました。また,「謝罪」の意味するところあるいはその用法が日本語のそれとは異なっているのかも知れないとも思いました。 とすれば,韓国から「歴史認識問題」について執拗とも思われるほど繰り返されることに対して,日本語の用法によって「違和感」,「反発」ないしは「拒絶」している限り,双方のすれ違いは簡単には修復しそうにはないようにも思われました。このことについて言語学者,歴史学者に聞いてみたいとも思いました。
by gakis-room
| 2006-12-15 09:14
| 韓国あれこれ
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Comments(4)
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saheizi-inokori at 2006-12-15 10:55
先日読んだ留守晴夫「常に諸氏の先頭に在り」(慧文社)にも日本人の”健忘症”が異常だとありました。130年以上前の南北戦争のことをいまだに南軍が正しいという人もいるそうです。
もっとも日本でも会津には今でも薩摩嫌いはいるし、江戸落語には幕府ひいきですね。 都合の悪いことには健忘症になるのかもしれません。 留守さんは「世界や人類の真実を探求する精神がない」のが日本人の特徴だ、だからゴム人間になってしまうといってますが。
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gakis-room at 2006-12-15 16:04
saheiziさん,栗林中将についての一連の話,読んで「いいなあ」と思っていました。ブロクの記事を読んで彼には陽明学に通じるものがあるように思ってきました。
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gakis-room at 2006-12-15 16:09
YUKI-archさん,先日,韓国からの留学生と話しをした折りに,自国の国旗に寄せ書きをしたり,国旗が地面にたれていても何とも思わないののは日本のナショナリストだけだと思う,といったら,なんとも不思議そうな顔をしていました。
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