2006年 03月 26日
WBC・日本の優勝を語る危うさ
WBCは日本チームの優勝で終わりました。準決勝の韓国戦も決勝のキューバ戦もプロ野球の視聴率としてはかつてない高さだったそうですから,それだけ関心も高かったのだと思います。そして,優勝ですから21日以降,いろいろな番組で取り上げられていました。きょうもいくつかのワイドショウでも取り上げられていました。

たくさんの人が日本チームの優勝について発言していますが,その中に共通する1つの危うさを感じます。それは,産経新聞の22日の社説に代表される意味不明なナショナリズムです。なかでも「日の丸をつけた時の意気込み」と日本チームではなく「日本」を讃えるものです。

産経新聞は韓国チームの大健闘への賛辞の後,次のように言います。
「これに比べ,野球発祥の地で大リーガーを多くそろえた米国が四強にも入れなかったのは不甲斐なかった。日本や韓国とは『国の代表』という意気込みに違いがあったのだろう」と。

つまり,日本チームの勝因に「『国の代表』としての強い意気込み」を見ようというのです。そこにはこの機に乗じて「愛国心」をしっかり賞賛しようという魂胆が見え隠れします。

産経新聞の「『国の代表』としての強い意気込み」論をトリノ五輪に当てはめてれば,荒川静香選手以外の全選手は「『国の代表』としての強い意気込み」に欠けていたからメダルが取れなかったということになります。ルール違反で失格したスキー・ジャンプの原田選手がそのさいたるものということになります。

荒川選手からは「『国の代表』としての強い意気込み」発言は聞かれませんでした。むしろ「自分らしさ」に拘わり切っていたように思われます。また,メダルが取れなかっただけではなく,長野五輪の5位以下の7位で終わったにもかかわらず,カーリングブームをもたらした「チーム青森」の選手たちが与えた感動はどのように説明されるのでしょうか。

「『国の代表』としての強い意気込み」論は,私にはなんの考察もない,優勝後の後出しじゃんけんで,しかも気まぐれのように思われます。しかし,それが善意であれ,メディアを通して繰り返される時,意味不明なナショナリズムだけが増幅される危うさを感じてしまいます。
[PR]

by gakis-room | 2006-03-26 12:40 | つれづれに | Comments(0)


<< またしてもパソコンのトラブル      レンギョウあるいはケナリ >>