2017年 03月 15日
天下分け目の合戦は「天王山」か「関ヶ原」か
d0006690_1033993.jpg天下分け目の合戦といえば「関ヶ原の戦い」と思ってきました。歴史教科書には次のように書かれています。
  …両者は関ヶ原で激突した(関ヶ原の戦い)。天下
  分け目といわれる戦いに勝利した家康は…


ところがこれに「否,天下分け目の戦いは天王山の合戦なり」と異議を唱えているのが京都府大山崎町です。大山崎町長は次のように言います。
  天下分け目の代名詞といえば「天王山」ですよ。プ
  ロ野球でもよく「天王山の一戦」と言われるでしょ
  う。代名詞は二つもいりませんよ。


d0006690_17261661.jpgそして,大山崎町町長は天王山の合戦で明智光秀を破った羽柴秀吉の甲冑姿で岐阜県関ヶ原町へ乗り込み,「最終決戦」を挑みました。これに対して関ヶ原町長は徳川家康の甲冑姿で「天下分け目の戦いと言えばこちらが本家」と受けて立ちました。昨年6月1日のことです。

この対決は,WEB上の両町の取り組んでいるプロモーション活動への賛同投票の多数によって決着を付けます。
そのWEBサイト,
   「PR対決最終決戦 天王山か関ヶ原か」
です。投票は2月1日〜3月17日までです。

これは総額1000億円の予算で今年度から始まった「地方創生加速化交付金」の認定事業として認定された「天下取りブランド構築事業」で,予算は1億610万円です。

※「天王山の合戦」について
関ヶ原の戦いはあまりにも有名ですが,「天王山の合戦」は本能寺で織田信長を討った明智光秀と羽柴秀吉の戦いです。この戦いは大山崎町にある「天王山を秀吉が制することによって戦いの帰趨が決まった」と言われてきました。実際はちょっとした小競り合いがあったかもしれない程度で,山の争奪は戦いの大局には影響がなかったとされています。

歴史教科書でも「天王山の合戦」とは言わず「山崎の合戦」としています。

※写真は記者会見する大山崎町長(右)と関ヶ原町長
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by gakis-room | 2017-03-15 18:00 | つれづれに | Trackback | Comments(2)
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Commented by 高麗山 at 2017-03-16 10:18 x
明治36年生まれの父親は、天下分け目の「天王山」と常に言っていましたネ!
Commented by gakis-room at 2017-03-16 12:31
高麗山さん,
現在でも勝敗などの重大な分かれ目を「天王山」とは言っても
「関ヶ原」とは言いませんね。
慣用句と史実の違いでしょうか。


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