2015年 04月 17日
京都の三珍鳥居・番外その5,大酒神社の八角柱の鳥居
※写真はクリックすると拡大します。
d0006690_1649563.jpg弥勒菩薩半跏像で有名な太秦・広隆寺のほぼ東北隣りにある大酒(おおさけ)神社の入り口です。

正面の鳥居の柱が8角柱です。

なお,鳥居奥の円孔の石碑は紀元2600年の記念碑で,神社のいわれとは無関係です。

d0006690_16541136.jpg柱の上部です。

d0006690_16505736.jpg柱の下部です。
そういえば蚕の社の三柱鳥居も柱は八角柱でした。


d0006690_16511764.jpg大酒神社は,当初は広隆寺境内に鎮守の社でしたが,明治初年の神仏分離令によってこの地に移されました。境内も狭いですが,社殿も小さなものです。

面白いのは祭神です。秦の始皇帝,弓月君(ゆんずのきみ),秦酒公(はたのさけきみ)の三柱です。以下は境内の「由緒書」によります。

秦の始皇帝
仲哀天皇8年(356年)に,始皇帝14世の孫の功満(こうまん)王が「漢土の兵乱」を避けて渡来し,始皇帝の神霊をこの社に祀ったされます。「災難を除け」「悪疫退散」の信仰から,「大辟(おおさけ)神社」が元名のようです。
   後漢の滅亡は220年です。その後,三国時代の
                                混乱期をへて,280年に晋が統一します。その
   晋も316年に滅び,中国は南北朝時代に入りますが,356年と言えば,北部は五胡十六国時代の大混乱期です。
  「漢土」とは,漢王朝とは関係なく,単に「中国大陸」と言うだけのようです。

弓月君(ゆんずのきみ)
弓月君は上記の功満王の子です。彼は応神天皇14年(372年)に,百済から18,670余人を率いて渡来し,金銀玉帛を献上します。

秦酒公(はたのさけきみ)
彼は弓月君の孫で,大量の絹,綾,錦を織りだして献上します。「絹布宮中に満積して山の如し」とされました。彼を祭神とされたことから,「大辟(おおさけ)神社」から「大酒神社」に改められました。

始皇帝14世の孫(始皇帝一族は項羽が秦の都を落としたとき,秦の3代皇帝ととも一族は滅亡したのではなかった?)である功満王とか,なぜかその子が,父とは別に百済から大集団を率いて渡来したとかは神話,伝説の類かと思われます。とまれ,古代,嵯峨野一体は渡来人の秦氏の一大勢力地でしたから,そんなこんなが上記のような伝説を作り出したと思われます。それにしても,秦の始皇帝を祭神とするのはこの神社だけのように思われます。

京都の三珍鳥居・その1,蚕の社の三柱鳥居
京都の三珍鳥居・その2,伴氏社の鳥居
京都の三珍鳥居・その3,厳島神社の鳥居
京都の三珍鳥居・番外その1,日乃出稲荷社の奴禰(ぬね)鳥居
京都の三珍鳥居・番外その2,野宮神社の黒木鳥居
京都の三珍鳥居・番外その3,車折神社の屋根付き鳥居
京都の三珍鳥居・番外その4,安井金比羅宮の角鳥居
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by gakis-room | 2015-04-17 18:00 | つれづれに | Trackback | Comments(2)
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Commented by korima at 2015-04-18 10:27 x
ふむふむ、ここも訪ねやすい場所ですね。
一日乗車券2枚で、嵯峨野方面OKですわ。
(地下鉄と嵐電…拝観料は別途(^_^;))
Commented by gakis-room at 2015-04-18 14:37
korimaさん,
蚕の社から大酒神社までは歩いてでも行けそうです。
一日乗車券があれば,無理に歩くこともありませんが。


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