2005年 09月 26日
1959年9月26日の記憶
1959年9月26日から27日にかけて台風15号が名古屋地方を襲いました。港湾部と河川の堤防の決壊と高潮による貯木の流出によって死者・行方不明者5,048人という史上最大の被害をもたらした伊勢湾台風です。

当時,中学3年であった私の家では,雨戸を閉めさらにはそれを釘で打ち付けるなどして台風に備えていました。夜になって停電し,そのうちに南側の部屋ではあちこちから雨漏りがし始めました。雨漏りはだんだん激しくなり,雨漏りを受ける器を次第に大きくし,最後は盥だったと思います。やがて雨漏りは小さな滝のようになり,盥からあふれる水をただ見ているだけでした。

まもなく玄関から浸水が始まりました。水位は少しずつ上昇してやがて床上を越すようになりました。あわてて,押入のものや家具類を机の上などにあげ始めましたが,大部分は間に合いませんでした。やがて水位は床上30センチくらいで止まりました。

私の家は平屋でしたから,この夜をどうするのかという不安がありました。まもなく近所の2階建ての家の人が2階への避難にさそいに来てくれました。私たち家族6人は水の中をその家まで行き,一晩をを過ごしました。ほとんど眠らなかったように思います。

翌日はまさしく台風一過,晴天でした。2階から外を見ると道路はすべて冠水していました。それでも,昨晩に比べてみると水位は少し下がっているようでした。私は午後には水は完全に引くな,と思い一安心をしましたが,それは大きな間違いでした。私の家一帯は海抜海面下(これは後で知ったことでした)でしたから,水位が下がったのは干潮によるものに過ぎませんでした。水位は床上すれすれまで下がって,やがてもとの床上30センチくらいに戻りました。堤防の修復が終わるまで,これが毎日繰り返されます。

27日であったか,28日であったかの記憶はありませんが,私たち家族は多くの被災者とともに腰まであたりの水の中を20分くらい歩いて,工業高校の体育館に移りました。こうして1ヵ月以上の避難所生活が始まることになりました。
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by gakis-room | 2005-09-26 19:36 | つれづれに | Comments(0)


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