2013年 03月 18日
朝鮮王朝で党派が成立し,党争が激化したのは第14代国王宣祖(ソンジョ,在位1567年〜1608年)の時代でした。同時に宣祖の末期には秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)による国土の疲弊・荒廃もあって,王朝にとっては大波乱期でもありました。 映画の主人公,第15第国王光海君(クァンヘグン,在位1608〜1623年)は世子の時も王位に就いてからも,そうした党争の中で,絶えずその地位を脅かされていました。こうした党争のしがらみにより,光海君は国王への謀反を理由に兄と異腹の弟,甥2人を処刑します。映画では字幕によって,ただ「暴君」と説明し,光海君暗殺未遂事件をきっかけに,身の安全のために影武者を登場させる所から始まります。 影武者(イ・ビョンホン,光海君との一人二役)は,最初はぎこちないものの,すぐに王の使命に目覚め,わずか15日間ですが善政をし,光海君の復帰とともに宮廷から消えていきます。映画はこの15日間の物語です。 実際の歴史を背景とした創作物語として,私は映画を楽しみましたが、2つほど不満がありました。1つは影武者国王の善政に抵抗する重臣達との「丁々発止」のやりとりがほとんどなく,緊迫感にかけていたように思います。朝鮮王朝の重臣は,すべて科挙を経たひとたちですから,いわば学者でもあります。つまりは理屈にかけては一筋縄ではいかぬ人たちです。 2つめは影武者国王を動かす「都承旨(トスンジ,国王の秘書長官)」,許筠(ホギュン)の役割です。彼は光海君に寵愛された実在の人物で,最初のハングル小説「洪吉童(ホンギルドン)伝」の作者です。洪吉童は義賊として庶民の英雄です。そして,朝鮮王朝では最初の革命思想家でもあった許筠は実際に謀反を計画しますが,露見して処刑されます。しかし,影武者国王の善政には都承旨・許筠の思想はまったく影響していません。このあたりが私の不満でした。 とまれ,韓国の代表的な人気俳優イ・ビョンホンの初めての時代劇で,それも一人二役です。観客動員数1000万人を超えた大ヒット作で,韓国の代表的な映画賞である「大鐘賞」では15部門で受賞したといいます。 【恐るべし,韓流フアン】 日本での公開は2月16日からでした。1ヶ月を過ぎたきょうの観客は40名ほどでしたが,男性客は私ひとりでした。 予告編はこちら。 ※写真はクリックすると拡大します。
by gakis-room
| 2013-03-18 18:00
| 韓国あれこれ
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Comments(2)
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saheizi-inokori at 2013-03-18 20:46
気になっていたのですが、がんばっていってみますかな^^。
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gakis-room at 2013-03-19 07:51
saheiziさん,
まもなく上映終了かもしれません。 |
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