人気ブログランキング | 話題のタグを見る
2012年 11月 17日
107年前のきょう,韓国を保護国とする第2次日韓協約が締結されました
1905年のきょう,徳寿宮内の重明殿で,「第2次日韓協約」が締結されました。より正確には「強要して締結した」と言った方が正しいようです。「第2次日韓協約」は日露戦争によって朝鮮半島からロシアの影響力を駆逐した日本が大韓帝国の外交権を奪い,保護国とし,そのために「統監」を漢城(ソウル)に常駐させるというものでした。

この日,駐韓日本公使は,韓国の大臣たちを日本公使館に呼び入れ,2日前の11月15日に特派大使の伊藤博文(当時枢密院議長)が提示した韓国を保護国とする「新しい協約(第2次日韓協約)」を承認するように求めます。それは朝から午後3時すぎまで執拗に続いたといいます。しかし,当然のこととして大臣たちはこれを拒否します。

その後,場所を宮中に移して強要は続きますが,大臣たちは御前会議で拒否の決定をします。これに対して伊藤は駐韓日本軍司令官長谷川好道と憲兵隊を引き連れて,重明殿に入り,大臣の1人1人にその可否を問いました。なおも拒絶する強硬な大臣を室外に排除し,強要は続けられました。強要に屈した大臣が過半数を超えると,伊藤は協約の成立を宣言します。こうして,「第2次日韓協約」は成立(駐韓日本公使と韓国外部大臣が署名)します。韓国ではこれを「乙巳(ウルミ)保護条約」といいます。

【締結に至るまでの経緯】

1904.02.08  日露戦争始まる(宣戦布告は10日)
1904.08.22  第1次日韓条約締結(全3条)
          ・日本人を財務顧問に任用する
          ・日本の推薦する外国人を外交顧問とする
          ・条約締結等重要な外交案件は日本と協議する
1905.01.01  旅順陥落
1905.01.28  竹島の島根県編入を閣議決定
1905.03.10  奉天占領
1905.05.27  日本海海戦
1905.06.09  アメリカ大統領ルーズベルト,日露に講和を勧告
1905.07.27  桂・タフト協定
          ・桂首相とアメリカ特使タフトとの覚え書き
          ・日本の韓国に対する,アメリカのフィリピンに対する優先・支配権を相互に尊重
1905.08.12  第2次日英同盟協約締結
          ・日本の朝鮮に対する支配権とイギリスのインドにおける特権とを相互に承認
1905.09.05  ポーツマス条約締結(日露戦争の終結)
          ・ロシアは朝鮮半島における日本の優越権を認める
1905.11.17  第2次日韓協約締結

アメリカ,イギリス,ロシアに朝鮮半島の排他的支配権を承認された日本は,翌年2月に漢城(ソウル)に統監府を設置し,初代統監として伊藤博文が着任します。伊藤は,文官として例外的に朝鮮駐留軍の指揮権を持つとともに,韓国の外交だけでなく,内政までも命令,執行する権力を掌握します。日韓併合条約締結(1910年8月22日調印,29日発効)の5年前のことです。

by gakis-room | 2012-11-17 18:00 | 韓国あれこれ | Comments(0)


<< サザンカのキメラでしょうか      ちょっぴり小春日和 >>