2012年 05月 26日
1260年前のきょう,東大寺大仏の開眼会がおこなわれましたが…
d0006690_19172999.jpg天平勝宝4年4月9日,752年5月26日,東大寺盧舎那仏像(いわゆる大仏)の開眼会が行われました。その後,大仏は2度の危機を迎えます。

1度目は1180年の平清盛の子,重衡による南都焼き討ちです。この時,大仏殿は焼失し,大仏も大破します。これを復興させたのが造東大寺大勧進の「重源,61歳」でした。大仏開眼は5年後の1185年,重源64歳,大仏殿再建は1195年,重源74歳でした。

2度目は1567年,松永久秀による兵火です。大仏殿は焼失し,大仏も胸から上が解けてしまいます。公慶の勧進によって大仏が蘇るのは124年後の1691年(開眼会は翌年の1692年)です。大仏殿の再建は18年後の1709年です。

大仏再建までの124年間,胸から上が焼け解けた「大仏は頭部は銅板で仮復旧されたままで,雨ざらしの状態」(ウィキペディアによる)だったようです。この「銅板で借り復旧」が私には分かりませんでした。

きょうの朝日新聞「be on Saturday」の「奈良には古き仏たち 盧舎那仏」では以下のように説明されていました。

   被災直後に胴部を補鋳,南都の仏師に木の仮仏頭を造らせ,それに銅板を張って整えた

「木の仮仏頭」は寄せ木造りでしょうが,6.7メートルの頭の寄せ木造りとはどのようなものなのでしょうか,また,銅板をどのように張るのでしょうか。それはどの様な表情をしていたのでしょうか。私には解けそうもない疑問です。

※写真はクリックすると拡大します。
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by gakis-room | 2012-05-26 20:33 | つれづれに | Comments(4)
Commented by saheizi-inokori at 2012-05-26 21:39
生きているうちに大仏様を観に行きたいです。
この前行ったときは見なかったのです。
Commented by 高麗山 at 2012-05-27 00:18 x
幼少の頃より慣れ親しんだ大仏ですが、後年建立当時に金箔のメッキに関わった人たちが、”よろけ”と言う水銀中毒に罹り、大変苦しんだという事実を書籍で知り、1200年前にも現在の職業病のようなことがらが存在したことに愕然としたものです!
Commented by gakis-room at 2012-05-27 08:56
saheiziさん,
機会があれるといいですね。
Commented by gakis-room at 2012-05-27 09:03
高麗山さん,
鉱山労働者などにも職業性疾患は古代からあったようですね。


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