2011年 02月 28日
一支国(いきこく)・壱岐紀行,2011年の例の会・1
今年の「例の会」は7人での壱岐行でした。昨年が「対馬」でしたから,2年続きの島巡りです。25日の午後,京都を発って,夜は博多で宴会でした。その二日酔いを引きずって26日朝,玄界灘を越えて壱岐に行きました。

ゲンカイナダと聞くだけで「荒波越えてー」という感じですが,波は比較的穏やかで,その上,船はジェットフォイルとかいう船体を海面から浮かせて航行するものでしたから,1時間10分の船路は揺れもほとんどなく,二日酔いのダメージも感じませんでした。

壱岐市は島全体が1つの市で2004年3月に4町が合併してできました。江戸時代は松浦藩の支配地であったたので,現在の行政区画は長崎県に属しています。
※写真はクリックすると拡大します。
d0006690_11403168.jpg【春一番の搭】
関東地方では25日に「春一番」が吹いたようです。東京の最高気温は20.8度,瞬間最大風速は16.6m/sだったようです。

この「春一番」には諸説があるようですが,以下は気象庁のホームページからの引用です。

すでに気象の用語となっている「春一番」ですが,その語源については,石川県能登地方や三重県志摩地方から西の各地で昔から使われていたということなどさまざまです。その中で,長崎県郷ノ浦町では、安政6年(1859年)旧暦2月13日(新暦3月17日)に長崎県五島沖に出漁した漁師53人が、春の強い突風にあい全員遭難しました。このときから郷ノ浦の元居地区では,春の初めの強い南風を「春一」または「春一番」と呼ぶようになったそうで,いまでは町内の岬に「春一番の塔」が建てられています。

搭は1967年に建てられました。船の帆をイメージしているとのことです。

d0006690_11401936.jpg「五十三霊得脱の搭」
「春一番の搭」のすぐ近くにあります。文字は読み取りにくいでしたが,搭の横にある「春一番の海難記」碑文には,これ以降,旧暦2月13日にはどれだけ好天であっても「沖止め」(漁のとり止め)とし,漁民1同が海難者の冥福を祈ったと記されています。

なお,「得脱」とは「煩悩・苦悩を脱して仏果を得る」ことのようです。刻印は,「得」が「ぎょうにんべん」ではなく,「水」を表す「氵」になっています。

1988年から2007年までは,53人の冥福を祈念するとともに,「春一番語源発祥の島」として島の活性化のために,旧暦2月13日に近い日曜日に「春一番! 風のフェスタ」が開催され,「舟ぐろ」と呼ばれる和船の競漕や鬼凧(おんだこ)と呼ばれる伝統大凧飛ばしなどが行われていました。

d0006690_114084.jpg【鬼凧(おんだこ)】
鬼凧は壱岐の古くからの郷土玩具です。
その昔,壱岐の島は昔「鬼ヶ島」と呼ばれ,多くの鬼が住んでいたそうです。この鬼を退治すべく,天皇の命を受けた百合若大臣という武将が豊後の国からやってきます。百合若大臣のはねた鬼の首は飛ん大臣の兜に噛み付いた息絶えたという伝説を図案化して描いた大凧です。

写真は壱岐市立一支国(いきこく)博物館に掲げられていたものです。
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by gakis-room | 2011-02-28 13:26 | つれづれに | Comments(4)
Commented by saheizi-inokori at 2011-02-28 18:12
玄界灘、と聞けば反射的に「手を握り」をつけたくなります。
同時代に覚えたわけじゃないのですが。
Commented by gakis-room at 2011-02-28 19:20
saheiziさん,
「名を名乘る」こともなく,私はただただ黙っていました。
Commented by 高麗山 at 2011-03-01 09:26 x
オーット、お二方かなりの戦を御経験のようで!
私はせいぜい、「俺は、村田だ!」の歌謡曲です!
Commented by gakis-room at 2011-03-01 12:31
高麗山さん,
あはは。「戦友」をちょっとばかり知っていましたから。


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