2011年 02月 24日
1933年のこの日,国際連盟総会は満州事変について「リットン調査団報告書」を採択しました。 報告書は,満州における日本の権益を認めながらも, ・柳条湖事件(満州事変)及びその後の日本軍の活動は,自 衛的行為とは言い難たい ・満洲国は,地元住民の自発的な意志による独立とは言い得 ない ・満州を中華民国の主権と調和する範囲内で自治を認める ・満州国の秩序のために国際的な武装組織を置き,そのため に外国軍隊は撤退する 等の内容でした。 ※満州事変 1931年9月18日の柳条湖事件(南満州鉄道爆破事件・関東軍の自作自演)から1933年5月の日中停戦協定までを言う。 柳条湖事件の5日後の23日の朝鮮派遣軍は満州に独断越境。朝鮮派遣軍・関東軍の支配下のもと,1932年3月1日,満州国が成立します。中華民国は国際連盟に提訴。国際連盟はリットン調査団派遣(9月に報告書を国際連盟に提出)。この間の6月に日本は満州国を承認した。 国際連盟総会の採決結果は,採択賛成42カ国,反対1カ国,棄権1各国(タイ)でした。主席全権松岡洋右はこれを受け入れられないとして,議場を退場します。そして,3月27日に国際連盟脱退を通告しました。こうして日本は,1937年の日中全面戦争,1941年日米戦争に至ることになりました。 写真は国際連盟総会の採決を伝える朝日新聞です。記事の内容を読み取ることはできませんが,見出しはすっかり「政府スポークスマン」です。 連盟よさらば! 遂に協力の方途尽く 我が代表堂々退場す これほどまでにあからさまではないとはいえ,この危うさ,どこか現在と似ていないでもありません。また,頻繁に,そして安易に主張される「国益」なる言葉を聞く度に「満蒙は我が国の生命線」と重ねてしまいます。これは松岡洋右が衆議院本会議(1931年)で行った演説です。
by gakis-room
| 2011-02-24 08:01
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