2010年 06月 20日
本能寺の変,6月2日,6月21日あるいは7月1日なのか
明智光秀が手勢1万三千を率いて,亀山城を出発したのはきょうの夕刻と言います。天正10年6月1日のことです。この時刻はどのあたりの行軍だったのでしょうか。翌2日の未明,桂川を渡ったところで,進路を東にとり,京を目指します,「敵は本能寺にあり」です。やがて(午前4時ころとの説もあります)本能寺を完全に包囲します。

本能寺の変は天正10年6月2日です。それでこの日,6月2日を「裏切りの日」と言うそうです。戦国の世の裏切りなんて星の数ほどあったのでしょうが,明智光秀とともに「裏切りの日」とは,光秀が少し気の毒になってしまいます。

それはともかくも,私の気掛かりは天正え10年6月2日です。天正10年は西暦1582年です。私の高校時代には年号暗記として「ヒ(1)ゴウ(5)のハ(8)んニ(2)ん(=非業の犯人),光秀」と語呂合わせをしました。最近の中高生は「イチゴパンツの信長さん」だそうです。

いくつかのサイトでは「1582年6月2日」としています。これは西暦の年に旧暦の月日を付け足したものでしかありません。こうした安易さについては「旧暦と新暦,きょうは何の日」で書きました。

ウィキペディアの「本能寺の変」では,「天正10年6月2日(1582年6月21日)」としています。
丁寧な説明だと思います。

ふと思い出しました。1582年は「グレゴリウス暦」の制定された年です。グレゴリウス暦はそれ以前の「ユリウス暦」よりも10日ほど暦を進めました。念のために天正10年6月2日を調べてみました。

  ユリウス暦   1852年6月21日
  グレゴリウス暦 1852年7月1日

グレゴリウス暦では1852年2月24日(ユリウス暦?)に発布され,同年10月4日(木曜日)の翌日を10月15日(金曜日)としています。とすれば,「天正10年6月2日の本能寺の変は1852年7月1日」とするのが正しいのではないでしょうか。それともグレゴリウス暦の発効以前はユリウス暦で言うのが習わしなのでしょうか。

これもまた,「半引き籠もり」と「梅雨の憂鬱」故のよしなしごとは困ったものです。
[PR]

by gakis-room | 2010-06-20 20:36 | つれづれに | Comments(5)
Commented by saheizi-inokori at 2010-06-20 20:57
>いくつかのサイトでは「1852年6月2日」
もちろん1582年ですよね。
イチゴパンツの信長、そっちを覚える方が大変です。
Commented by gakis-room at 2010-06-20 21:03
saheiziさん,
またやっちゃいました(汗)。
ありがとうございます。早速訂正しました。
Commented by ジュネーブのまなお at 2011-02-11 08:46 x
国立天文台編による理科年表オフィシャルサイトによれば、「ユリウス暦の 1582 年 10 月 4 日の翌日をグレゴリオ暦の 1582 年 10 月 15 日と定めた。」とのことですから、6月、7月の日付であれば、グレゴリオ暦導入前ということになりますから、やはり、その導入前の日付で言うのが正しいでしょう。
http://www.rikanenpyo.jp/FAQ/koyomi/faq_koyo_001.html
Commented by ジュネーブのまなお at 2011-02-11 08:47 x
(追伸) ご参考ですが、日本の明治改暦では、明治5年12月3日が明治6年1月1日になっています。この改暦の際には、明治政府は明治5年12月1日と2日を11月30日と31日とすることを一度布告していますが、翌日にはそれを取り消すという混乱も生じています。ただし、それ以前の日付については修正を加えるということは一切考えられていません。
改暦があった年には、その改暦のあった日以降の日付を変更するというのが正しいようです。

(おまけ) それから、天正10年と11年については、京暦と三嶋暦の間で、閏月の置き方に異同があり(三島暦には天正10年閏12月が置かれたところ、京暦では天正11年に閏正月を置いていた)、その異同について、織田信長が糾明を測ろうとしたが、糾明の途上で本能寺の変となり、京暦は閏正月を置きました。これもなかなか面白い話です。
Commented by gakis-room at 2011-02-11 12:13
ジュネーブのまなおさん,
ようこそ。

ご丁寧な説明をありがとうございます。
ユリウス暦とグレゴリオ暦,明治改暦について私も知っていますが,歴史的事件を何月何日かと言うとき,旧暦の月日だけでいいのかという疑問はまだ消えていません。

2010年4月14日2も書いたことですが,
  http://gakisroom.exblog.jp/10965528/
たとえば「大坂冬の陣」は慶長19年11月19日です。
11月19日と言えば,季節感覚では冬ではなく,晩秋です。しかし,慶長19年11月19日はグリコリオ暦では1614年12月19日です。これなら「冬の陣」も納得できます。

やはり,「慶長19年11月19日(1614年12月19日)」と併記するのがいいようです。しかし,「○○年前のきょう」という時,11月なのか12月なのかという疑問は残ります。

京暦と三島暦の話,面白そうですね。


<< ヒルザキツキミソウではなくモモ...      梅雨に雨を待つ >>