2010年 01月 10日
ルビコン川
d0006690_2149850.jpg「これまでにルビコン川を渡ることはなかったなあ」,朝から浮かんでは消えていました。ルビコン川(ルビコーネ川)とは北イタリアの川です。古代ローマが共和制時代,この川がローマ本国と属州とを分ける境界線でした。

そして,ヨーロッパ各地に派遣されていたローマ軍団の指揮官がイタリア帰還するときには,軍団から離れてこの川を渡ることが当時のローマの掟でした。ですから軍団を率いて「ルビコン川を渡る」とは共和国ローマへの反逆になります。

軍団を率いてガリア(ほぼ現在のフランス)各地を転戦し,めざましい功績を挙げていたカエサル(シーザー)でしたが,突然に元老院からローマへの帰還を命ぜられます。それは,ガリアにおける彼の(元老院から見れば元老院の権威を踏みにじり,否定するかのような)独善的な振る舞いを元老院が問いただすためでした。

問いただすと言うよりも,ローマに単身帰還したカエサルを逮捕し,失脚させるためでした。このことをカエサルと彼の率いる軍団は承知していました。そして軍団を引き連れたカエサルはルビコン川にまで到達します。

紀元前49年1月10日のことでした。彼は軍団に「ルビコン川る渡る」ことを命じます。ローマへの反逆です。この時,彼が部下に言ったされる言葉が
  「賽は投げられた」
です。

朝,いつものように「きょうは何の日」かとネットで見ていて,カエサルの「ルビコン川を渡る」日を知りました。いつもであれば「ああ,きょうはそんな日だったのか」で終わります。しかし,なぜか「これまでにルビコン川を渡ることがなかったなあ」が朝から反復しました。

おのれの「生死をかけた決断」なんてないことが普通なんだ,という結論にたどり着いたのは先ほどのことです。とは言え,「またまた,自己弁解などしやがって」との声は聞こえてきます。

※写真はクリックすると拡大します。
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by gakis-room | 2010-01-10 22:47 | つれづれに | Comments(6)
Commented by 高麗山 at 2010-01-10 23:55 x
ルビコン川どころか、「餓鬼道」を踏まえて「三途の川」もお渡りに
なったようにお見受けいたしますが!
Commented by gakis-room at 2010-01-11 07:58
高麗山さん。
川の渡しは今はありません。地獄の沙汰も何とかやら,はたまた癒着も重なって,「此彼連絡橋機構」なるものが,三層の連絡橋を建設し,高い通行料を設定しています。私はなけなしの年金を全部つぎ込んで,三層の一番下,つまりは歩行者専用道路をスキップして往きました。
しかし,彼の地にも政権交代が起こり,今では通行は無料,しかも一方通行は解除ということになり,私は此岸に舞い戻ってきました,ハイ。
Commented by saheizi-inokori at 2010-01-11 09:46
自分としてはルビコンを渡ったつもりでしたが、あとからみるとドブ川でした。
Commented by gakis-room at 2010-01-11 11:50
saheiziさん,
それでも決断をして渡ったのですよね。私にはその決断がありませんでした(涙)。
Commented at 2010-01-11 23:42 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by gakis-room at 2010-01-12 06:45
鍵コメさん,
ありがとうございます。
それに,そんな風に言われると恥ずかしくなります。


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