2009年 11月 17日
旅愁


私は歌がとても下手です。完璧な音痴と言ってもかまいません。加えて高音部分の声も出ません。それで人前で歌を歌うことは滅多にありません。歌うこと,数多いコンプレックスの1つです。それでも,リタイア以前には飲み会の二次会などでカラオケのある飲み屋に行くことがありました。どうしても断り切れずに歌ったこともありますが,後悔とともに終わります。

しかし,歌は好きです。買い物も含めて自転車に乗っている時などに自然に歌が出てきます。もちろん,自分だけに聞こえる程度です。季節柄でしょうか,最近は「旅愁」かよく出てきます。歌いながら,不思議な歌だと思いました。

  1 ふけゆく秋の夜 旅の空の
    わびしき思いに ひとり悩む
    恋しやふるさと なつかし父母
    夢路にたどるは さとの家路
    ふけゆく秋の夜 旅の空の
    わびしき思いに ひとり悩む

  2 窓うつ嵐に 夢もやぶれ
    はるけきかなたに 心まよう

この人はどんな旅をしているのだろうかと思いました。「わびしき思いに ひとり悩む」旅とは不思議な旅です,そんな旅は最初からよせばいいのにと思ってしまいます。「湖畔の宿」のような旅であれば,ふるさとや,父母をに思いが行くとも思えません。そんな疑問を感じながら,どうしても思い出せない2番の「窓うつ嵐に 夢もやぶれ」以下を知りたくて調べてみました。

「なつかしい童謡・唱歌…」に,作詞の犬童球渓(いんどうきゆうけい)についてこんな記事がありました。

(兵庫県)丹波柏原の八幡神社の森が、歌詞にある杜です。当時軍国色強く、音楽の教師として赴任中の先生を追い出しにかけた一幕で、心痛め夢破れ・・・・・・たのです。

「当時軍国色強く」に引っかかりました,「軍国色強く」以前の明治の歌ではなかったのかと。こんなサイトがありました。

明治38年3月,東京音楽学校(現東京芸術大学)を卒業の後,4月,当時,兵庫県下の男子中学校では始めて設けられた音楽科の教師として旧柏原中学校(現柏原高校)に赴任しました

当時の校長平沢金之助は日露戦争で荒れる生徒の心を和らげ 情操教育に役立てようと球渓を招いたのですが,当時はまだ「音楽など軟弱な女の子のするもの」と考えられていたため生徒たちは球渓の授業が始まると,やじを飛ばし口笛を吹き机を叩き,床を踏み鳴らして妨害し,それが毎日続いたため授業どころではなくなり,物静かで内向的だった球渓は心身共にむしばまれ,とうとう赴任した年の12月,「神経衰弱兼右肺尖浸潤」の診断書と共に辞職願いを提出します

その後,新潟高等女学校(現新潟中央高校)に転任した球渓は,あの名曲「旅愁」や
「故郷の廃家」の作詞をします。「更け行く秋の夜 旅の空の わびしき思いに 一人悩む・・・」,この「旅愁」の詞は,苦悩に明け暮れた柏原中学校時代を思い作った詞だと言われています


「旅」ではありませんでした。秋の深まる今頃には「苦悩」は頂点に達しています。ちょつと歌いにくくなってしまいました。
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by gakis-room | 2009-11-17 07:02 | つれづれに | Comments(2)
Commented by saheizi-inokori at 2009-11-17 08:52
人生は旅です。
Commented by gakis-room at 2009-11-17 16:31
saheiziさん,
そうでした。月日は百代の過客にして…でした。


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