2005年 06月 20日
6月19日と無念の死
6月19日,JR福知山線の運転が再開されました。きょうもテレビは繰り返しこのことを報じています。事故現場を通過する車内では合掌する人がきょうも少なくありませんでした。献花台にはきょうも花が絶えません。「無念の死」にはいつも心が揺さぶられます。

45年前の6月19日。その夜,16歳の私は名古屋市内の繁華街の車道いっぱいに多くの人と手をつないで歩いていました。それは4日前に国会構内で無念の死を遂げた女子大生への追悼でもありました。その日は,今では見ることもほとんどなくなった街頭デモにはじめて参加した日でもありました。

60年前の6月19日。沖縄ではひめゆり部隊の悲劇がありました。それから46日後にこの国が東アジアに無数の無念の死を強いた戦争が終わりました。

無念の死を悼むことは心の自然の働きのように思います。無念の死は残された者によって,あるいはそれを思いやる者によって慰められることも自然です。しかし,無念の死を美しいといい,その霊を神として崇めることは断じて自然ではありません。
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by gakis-room | 2005-06-20 19:25 | つれづれに | Comments(0)


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