2009年 08月 10日
自存のため,これが旧海軍の戦略だったのでしょうか
「海軍反省会」なる会合が1980年(昭和55年)3月から11年に130回以上もたれたそうです。出席したのは主として海軍軍令部作戦課の将校を中心とした人たちですから,いわば海軍の中枢,頭脳とも言うべき人たちです。

その会合のテープ225巻,400時間のをもとに作成された「NHKスペシャル 日本海軍 400時間の証言 第1回」を見ました。3回にわたって放送されます。

第1回 開戦 海軍あって国家なし 8月9日(日) 午後9時〜
第2回 特攻 やましき沈黙    8月10日(月) 午後10時〜
第3回 戦犯裁判 第二の戦争   8月11日(火) 午後10時〜

第1回を見終わった感想は,一言で言えば,当時の海軍を支配していたものは自存が最優先され,「戦略なき戦術」,あからさまに言えば単に「勢いに流された」というバカげたムードであったというものです。それは海軍による政治からの独立から始まります。1933年(昭和8年),皇族の伏見宮博恭が軍令部総長(当時は軍令部長)に就任すると,皇族の威光を背景に「兵力量の決定は総長によって起案される」という法改正によって海軍は政治から独立します。

しかし,「戦略なき」故に日米開戦に展望を持たないまま,陸軍によるクーデターによって陸軍支配下になることを恐れた海軍は,単に「臆病」と言われるのを怖がっただけかもしれません,1941年(昭和16年)4月,伏見宮博恭に代わった軍令部総長に就任した永野修身は天皇に「このさい打って出るしかない」と奏上します。勝ち目がある時に戦いたいとの理由からです。

「1931年の満州事変以来斃れた兵士を無駄にできない」という陸軍の大義名分と世界最大の巨艦「戦艦大和」を無意味であっても出撃させるという大義名分はただただ「自存のために」という点では少しの変わりもありません。

ただただ自存,「海軍あって国家なし」の標題はこのあたりからでしょうか。満州事変から日米開戦に至る経過についてはしばしば陸軍の暴走が言われますが,海軍もまたおのれの自存のためにと言うことでは「国家なし」,いいえ「国民なし」であったようです。

それで思いました,,おのれの自存のために「〇〇あって国民なし」。この国の今,なんとたくさんの言葉が「〇〇」に当てはまることでしょうか。

再放送の予定は不明です。
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by gakis-room | 2009-08-10 04:58 | つれづれに | Comments(2)
Commented by saheizi-inokori at 2009-08-11 06:54
自民海軍の話かと、、。
Commented by gakis-room at 2009-08-11 16:22
saheiziさん,
自分あって党なし(笑)。


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